恐るべし、朝日連峰 上

(2002/6/15〜16)



6月15日(朝日鉱泉〜鳥原小屋)


前の晩、サッカーワールドカップの、
韓国-ポルトガル戦を、
感度の悪いカーラジオで聞きながら、
朝日鉱泉に通じる細い林道を走っていると、
突然、稲光つきの豪雨になった。
「朝日鉱泉ナチュラリストの家」は冬期休業中なので、
駐車場にテントを張って寝るつもりだったのだが、
仕方なく、狭い車の中で寝ることにした。

ジムニーの中で、午前6時過ぎに目覚めると、
男たちは、集結していた。

ぼくと、盛岡からかけつけた堕落中氏は、
当初の予定通り、14日の夕方に、
山形県山辺町の玉虫沼キャンプ場で落ち合った。
日本がチュニジアを2-0で打ち負かし、
ワールドカップ予選H組のトップ通過を決めた、
その2時間後のことである。
(ラジオでサッカー中継を聴くには、
 多大なる想像力が必要だと実感!)

しかし、深夜到着となる東京組の2人には、
場所が分かりづらいだろうと判断し、
集合場所を、急遽、登山口である、
ここ「朝日鉱泉ナチュラリストの家」に変更したのだが、
まあ、東京組も無事到着して、何よりである。


朝日連峰に挑むのは、
ぼくの他に、
この登山の呼びかけ人である、
岩手県盛岡市在住の堕落中氏、
そして、東京から駆けつけた、
このHPではすでにお馴染みの、
サドカメラマンしもべくんと、
このメンバーの中で、
唯一会社勤めをしている、
ヤマ師係長の、4人である。

お互いに、同年代で、
長い付き合いなのだが、
この4人で山に登る、となると、
初めてのことになる。
さてさて、どうなることやら。


これからぼくは、この登山の全容を、
独断と偏見を以て、書き記していくのであるが、
それは、「残された者」に対する、
説明責任を果たす、という役割を担うことでもある。

往々にして、野外活動、特に、
登山などという自虐的活動を好む人間は、
休日のほとんどを、
この倒錯した快楽のために費やす傾向がある。

休みの前日になるといきなり、
「明日、山へ行ってくるから」と、
妻、子ども、恋人、愛犬に宣言し、
とっとと出かけてしまう。

山に登るとなれば、
自分のペースで歩くことが重要なので、
足手まといになる、と考えたら、
それが例え、愛する妻であろうが、
最愛の恋人であろうが、おかまいなしに、
「捨てて」いくのだ。

日本全国津々浦々、
携帯電話が通じる時代になったとはいえ、
「あの人は、いったい、どこで、何をしているの?」
という、残されし人たちの疑問は、
解消されるに至らない。

ですから、この4人の関係者の皆さま、
もし、この駄文を読んだのであれば、
最後通牒だけは、いましばらく、ご猶予のほどを。
男たちは、ほんの少し、
世間とズレているだけなのであります。
悪いことは決してしてませんから。


Tシャツ&パンツという情けない姿で車の外に出ると、
堕落中氏とヤマ師係長が談笑していた。
霧のような小雨が降りしきる、生憎の空模様である。

「おお、パンツ星人のお目覚めか。
 もう少し早く起きればよかったのに。
 さっきまで、大朝日岳が見えていたぞ」

と、言いつつ、ヤマ師係長が、
コーヒーを手渡してくれる。

「おはよう。サンクス。香りは?」

と、催促すると、堕落中氏が、
ブラックニッカを半フィンガー入れてくれた。


何でも、昨日、東京は葛飾の、
ヤマ師係長の家を出発したのが21時過ぎで、
(先着組が酒盛りを始めた時間だ!)
さらに、東北自動車道の事故のために、
仙台の手前で高速道路を下ろされたりして、
到着したのは、午前4時を過ぎていたのだという。

「ここへ着くころには、雨も雷もすごくてさ。
 でも、林道で、うさぎを見たぜ。
 じっとしていて、動かないのな。
 すっげえ、かわいいぞ、あれは」

眠そうな目をして、ヤマ師係長が言う。

夜通し独りで運転してきたしもべくんは、
(ヤマ師係長はペーパードライバーなのだ)
まだ、彼のランドクルーザーの中で、
本格的な睡眠の最中である。


今回の計画は、すんなりと決まった。
「東北の山に登りたい」という、
堕落中氏の呼びかけに応え、コースを検討した結果、
盛岡と東京のほぼ中間にあたる、
朝日連峰か、飯豊山地がいいだろう、と。

で、1泊2日の周回コース、と、条件を絞り込むと、
朝日鉱泉ナチュラリストの家から、
鳥原山、小朝日岳を越えて、大朝日小屋で1泊、
翌日に大朝日岳へ登り、「中ツル尾根」を下り、
再び、朝日鉱泉へ戻ってくる、
大朝日岳登山の定番でもあるこのコースが、浮上した。

メンバーの中で、いちばんの登山エキスパートの、
ヤマ師係長は、飯豊に未練たっぷりだったのであるが、
少しでも楽なコースを、という、
堕落組の主張に折れた形となった。


まあ、東京組の2人は、異常なる体力の持ち主なので、
我々先着堕落組にとっては、
このくらいのハンディキャップがあって、丁度いい。
7時ちょい過ぎに、しもべくんをたたき起こし、
軽い朝食を食べたあと、8時過ぎに、
ここ、朝日鉱泉ナチュラリストの家を出発した。

ヤマ師係長、しもべくん、堕落中氏、ぼく、
の順番で歩く。
みんながみんな、1泊2日の登山にしては、
大きすぎる荷物を背負っているのが面白い。

下戸のしもべくんのバックパックには、
いつもの通りにカメラ機材が満載されており、
トレードマークとも言える、
でっかいウエストポーチも健在である。
他の3人の荷物の中身の大勢を占めているのは、
言うまでもなく、酒である。

一度川へ下って、猿渡ダムを、
工事現場で見かけるような、
アルミ製の足場でつくったつり橋で渡る。
沢の左岸の、杉林の中を5分ほど歩くと、
帰りに通る予定の中ツル尾根コースと分かれ、
ジグザグをきった急な登りになる。

たちまち、汗が、滝のように滴り落ちてくる。
昨日の晩に飲んだ、2リットルのヱビスビールが、
一挙に抜けていくのである。
我々は、これを、邪悪な水の排水、と呼ぶ。

川から離れるとすぐに、
東北有数と言われるブナの森になる。
湿気を帯びた深い森特有の、
何とも言えない空気が、鼻腔をくすぐる。
薄い霧越しに見るブナの木々は、幻想的。
これこそ東北の山に求めていたものなので、
我々は、口々に、いいなあ、いいなあ、と、
幼児のひとつ覚えのように何度も繰り返しつつ、
急な登りを幸いにと、ゆっくり、ゆっくり、
風景を脳裏に焼き付けながら、
一歩一歩足を進める。

並木のように連なった、
ふた抱えは軽くあるブナの巨木が天空を塞ぎ、
逆光に透ける新緑から、光の雨が降り注ぐ。

登山道の両わきには、
花をつける前のマイヅルソウや、
葉緑素を持たない真っ白なギンリョウソウが、
たくさん、たくさん見られる。

尾根に上がると傾斜はやや緩むのだが、
つらいつらい登りであることに変わりはない。

ツツジが紅い花を咲かしていることからして、
関東地方の平地よりも、
半月、いや、ひと月くらい季節が遅いと感じさせる。
薄紫や薄いピンクが入り交じった、
エゴの花も、ちょうど見ごろである。


「私たち、ハア、ハア、ハア、
 けっこう、ハア、ハア、ハア、
 早く歩いていますよね、ハア、ハア」

堕落中氏がよたよたしながら振り返って、
いつもの通りの丁寧な口調で言う。

「ええ、普段、街中を歩くよりも、ハア、
 早いくらいかもしれませんね、ハア、ハア」

つられて敬語で答える。

「じゃあ、ハア、ハア、
 私たちの目の前に、ハア、ハア、
 彼らの姿が見えないのは、ハア、ハア、
 何故でしょうか?ハア、ハア、ハア」


体重90キロオーバーのヤマ師係長は、
ひいき目に見ても肥満体形なのであるが、
ぐいぐいと力任せに山を登り、
見た目には想像できない凄まじいほどの健脚を誇る。
本人曰く、「デブの年期が違うんだ」。

しもべくんは、カメラマンという職業柄、
重い荷物を持っての移動は得意中の得意。
加えて、前を歩く奴をあおるのが好き、
という少々困った性格なので、
(それじゃあ、マゾじゃなくサドじゃないか!)
飛ばしに飛ばすヤマ師係長を、
ぴったりマークしているのは想像に難くない。

100m先のコンビニへ行くにも車で、という、
消費文明社会に首まで浸かった生活をしている、
我々堕落組が置いてゆかれるのは、当然である。


「彼らは、早いですからね。ハア、ハア、
 一応、1時間に1度くらいは、ハア、
 休憩を取るように言ってありますから、ハア、
 もう少しで追いつくんじゃあないでしょうか、ハア」

息が上がっていることをなるべく悟られないよう、
堕落中氏の投げ掛けた疑問に答える。


時間が経つにつれ、徐々に太陽が顔を見せ始めて、
小朝日岳への稜線が霧の中で見え隠れするようになる。
太陽に照らし出されるブナの新緑が、また、いい。

引き離されては、休憩のときに追いつく、
を3回ほど繰り返し、
もうすぐ4回目の休憩時間になる、というところで、
ミズバショウが咲く湿原に着き、
ほぼ平らな木道が現れた。
上り坂とは比べ物にならないくらい快調に進むと、
左手に、鳥原小屋の立派な建物が見えてくる。


11時40分、鳥原小屋に到着。
天気はすっかり回復して、
青い空の面積が、白い雲を上回っている。

白滝からのコースが合流した先で、
先行2人組が笑顔で待っていた。
湿原に点在する沼の周囲には、
紫色のシラネアオイが群生しており、
昼飯を食べるには、絶好の場所である。

しもべくんを除く我々3人は交互に顔を見合わせ、
それぞれのバックパックから、
「お昼用」のヱビスビールを取り出す。

「じゃあ、まあ、まあ、
 乾杯、と言うことで。
 ウグ、ウグ、ウグ、プハ〜」

何がうまいって、大汗を流したあと、
昼日中に飲むビールね。
登山はつらいけど、これがあるから、
我慢できるんだろうなあ。


つづく

「中」を読む  文頭にもどる




ESSAY
HOME