さすらう、雨男 4
〜最終回〜

(2001/7/23〜26)




さてさて、一服したことだし、先に進もう。

左回りルートの登山道は、
鉄砲水の通ったあとみたいに深くえぐられている。
それに、昨日までの大雨が加勢したためか、
両脇の「アゴ」に当たる部分が、
いたるところで崩れ落ちていて、すごく痛々しい。
エゾコザクラを数十本も乗せた土塊が、
道の真ん中に、ポツン、とあったりするのである。

歩きはじめてから10分も進まないうちに雪渓歩きとなり、
やがて、怒り狂っている赤石川にぶち当たった。

さっさと、石室まで引き返す。
今度は、右回りルートへ。
ハイマツの間をしばらく歩くと、広い砂礫地帯にでる。
ここがこのコースの白眉、最大の見どころである。
コマクサの大群落に、イワブクロの乱れ咲き……。
肌もあらわな美人のおねえちゃんが、
集団で「ウッフン」としてるようなもので、
あっちこっちに目を奪われっぱなしさ。

凍結と解凍を繰り返すことで生まれた、
“小山のうねうね地形”は、
遠くから見ると、一面緑色なのだが、
近くで見ると、実は、
エゾツガザクラ&アオノツガザクラの、
釣り鐘形をしたピンクと黄色の花が、
これでもかっ!と、ちりばめられているのである。

とにかく、
眼福、眼福、目の正月、
絶景、絶景、筆舌に尽くしがたし、なのである。
もしも、白装束を着た坊主が、
おいでおいで、と手招きなんぞしていようものなら、
ここはどこ?ぼくの人生もう終わりなの?ってなもんで、
三途の川も、かくあらん。


しか〜し。
(ホラホラ、来たぞ、来たぞお)
幸せは長く続かない、というのは、物語の基本。
他人の不幸は蜜の味。
色男ならぬ雨男が揃いも揃ったものだから、
ポツリ、ポツリ、とならない方がおかしい。
最初はカメラをしまうこともないような霧雨ね。
エゾツガザクラとアオノツガザクラの、
ピンク&黄色満開大群落の撮影には全然支障なし。
けれども、プ〜ン、と硫黄の香りが漂ってくる、
お鉢全体が見渡せる「展望台」に着くころには、
いつもに負けず劣らずの大雨になったのだった。
ああ、お鉢がみるみる霧に飲み込まれていく……。
これには、お互い、苦笑いするしかなかった。

「いやあ、こう来なくちゃ、山に来た気がしませんねえ」

レインウエアを着込みながら、しもべくんに話しかける。

「植物の写真を撮るなら、やっぱりお湿りが欲しいすよね」

「言うなれば、天気がいいってことは、
 山の魅力の半分しか経験してないも同然ですよねえ」

「うひゃひゃひゃひゃ、その通り、その通り」

脳が酸欠状態に陥り、思考力がレベル・ゼロに。
エビスビールをやけ飲みして気力を奮い立たせ、
もはや定番中の定番と化した、
だんまり・うつむき・ずぶ濡れ下山の開始である。


突然、さらなる試練が訪れた。
言っておくが、雨なんか、全然苦にならないんだから。
黒岳までの登り返しを、フ〜フ〜言いながらも越え、
頂上で一休みしてから、7合目のリフト乗り場を目指して、
歩きはじめてすぐのことだった。
グッと力を入れて右足を踏ん張った瞬間、
足先の抵抗が無くなったような、嫌な感じがしたのだ。
恐る恐るのぞき込んでみると、
ガ〜ン!
登山靴のソールが剥げてるじゃありませんか。

よ〜く調べてみると、ソールが剥げてるのではなく、
何と、靴の底が抜けてやんの。
おいおい、これがもし日高だったら、命にかかわってたぜ。
今シーズンくらいは保つと思っていたのが大失敗だった。

先々週、登山ガイドとして斜里岳に行ったとき、
徒渉がうまくできないじじばばのために、
我が身と靴を犠牲にしてジャブジャブ川へ入り、
手を差し伸べて渡らせる「サービス」をやったのね。
しかも、1週間のうちに、2回も。
本来であれば、濡れた登山靴を乾かすには、
風通しのいいところで日陰干し、
と相場が決まってるのだけど、仕事ゆえ、
翌日には、また別の山に登らなければならないから、
日なたでガンガン乾かしちゃったのだ。
ずぶ濡れ、急速乾燥、ずぶ濡れ、急速乾燥の繰り返しで、
愛靴(?)の寿命が、縮まったに違いない。

さて、状況ならびに原因の分析ができたわけだが、
現状に立ち返りたいと思う。

たかが黒岳とはいえ、靴なしで下りるには無理がある。
かといって、リペアキットなんぞ持っているわけがない。
縦走装備であれば、ガムテープを常備しているので、
ぐるぐる巻きにすればどうにかなったかもしれないけど、
当然、応急処置に使えそうなものは持ってない。

リペアがダメなら、
自分の身体でカバーするしかない。
親指をク〜っと上に反らせて、
無事に残っている靴のつま先にひっかけ、
足が靴からはみ出ないように歩くという、
試行錯誤のうえ編み出した必殺技で勝負だ。

実際に試してみれば分かるけど、これは、つらいよ。
ふくらはぎは強ばるし、土踏まずはつりそうになるし、
バランスが悪いから雨で濡れた石で思いっきり滑るし、
下るスピードは半減するし……。
鬼平の火付盗賊改に拷問を受けるよりはマシだろうけど、
両奥歯が0.3ミリすり減り、
目じりのシワが0.2ミリくらい深くなってしまったぞ。
皆さん、野外で遊ぶときには、ガムテープを忘れずにね。

ほうほうの体でリフト乗り場にたどり着いたはいいけど、
右足すべての筋肉がピクピクして、しばらく動けなかった。

こうして、天国と地獄を垣間見て、
大雪山トレッキングは幕を閉じたのであった。


もうちょっだけ、話を続けさせてね。

帯広に戻る途中、時間に余裕があったので、
糠平湖沿いの林道を通って帰ることにした。

「最近、この辺で、よくクマが出るそうです」

「でも、二人一緒のときに、出た試しはないですよね」

しもべくんは、相変わらず、冷静である。

「でも、出そうな雰囲気でしょ。まだ4時なのに薄暗いし」
 
半信半疑のしもべくんをしり目に、
「お〜い、クマさ〜ん」 と、小声で叫びながら、
ゆっくり、ゆっくり、林道を進む。
道の両側からせり出した木の葉のトンネルが終わり、
湖の形をそもままなぞるようなカーブを、
右へ曲がったときのことだった。

「あ〜、出た〜っ!!」

思わず叫んでしまった。

50mくらい先に、ポン、と現れたクマさん、
左手の森から林道に出てきた瞬間に、
自動車の発する異音に気づいて、こっちを向いた。
その瞬間、あわてて後ろ足で立ち上がったかと思うと、
前足を下ろすが早いか、くるっと180度身体をひねり、
来た道を戻っていったのだった。
時間にして、わずか2、3秒の出来事である。
身長2メートル弱くらいの、
ひょろひょろっとした若クマだった。

「ね、ね、見ましたよ、ね」

「はい、はっきりと」

くっきりした足跡が残っていたので、
クマさんが現れた場所が確定できた。
助手席からこわごわと身を乗り出し、
森の奥深くを凝視していたしもべくんは、

「あっ、まだいます。ウサギのように、
 ぴょんぴょん跳ねるように走っています」

と、興奮気味に実況中継をしてくれるのであった。
おお、やっぱり、今日は、ツイていたのだ。
これで、二人でいるときはクマに会えないという、
我々についてまわったジンクスがひとつ消えた。
しかし、これは、果たして、
喜んでいいことなのだろうか?


了。



おことわり

作中、一部、不適切な行為が出てきますが、
そこだけは、一応、フィクション、ということで。
あしからず。

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