(2001/7/23〜26)
毎年恒例、夏の日高山脈登山である。 思いっきり青い空に、白い彩りを添える絹のような雲。 ピンクに、黄色に、青にと、 ひとつとして同じ色がない高山植物が織りなす、 錦絵のようなお花畑。 谷間に響き渡るナキウサギの澄んだ声。 マイナスイオンをたっぷり含んだ爽やかな風。 露出した肌を、知らずのうち褐色に染めていく太陽の光。 眼下を見渡せば、ほぼ全周囲的に、 まるで緑の波が寄せては返すように、 連なり、広がる、山また山。 ジ〜ン(感動!!)。 と、当初の予定では、こうなるはずだったのに……。 しか〜し。 それを、運命、と呼ぶには、大袈裟過ぎるだろうか? ぼく&サドマゾカメラマンしもべコンビが、 (しもべくんについては、「女王様、-20度初体験」を参照) 山に登るときには、なぜか、雨がつきまとうのだ。 10月でもないのに、八百万の神が、 特別休暇を取っているとしか思えないぞ。 1998年に、今や泣く子も黙るほど有名になった、 花の名山・アポイ岳を目指したときもひどかった。 最初のトライは、7月上旬。 国道336号、通称「黄金道路」の通行止めで、 (原因は、当然ながら、数日前に降った大雨) 泣く泣く登山を断念。 8月上旬に再びチャレンジしたときにも、 またもや大雨で、黄金道路が通行止め。 アポイ岳の麓にさえ行くことができなかったのだ。 さらに言えば、9月の中旬に、 日高山脈の南端に位置する楽古岳に挑んだときだって、 小雨をついて登り始めたものの、 ものの30分もしないうちに土砂降りとなり、 「ダメだこりゃ」 と、ドリフの長さんのようにつぶやいて、 引き返してきたのだった。 翌1999年に、岳人憧れの1839峰を目指したときには、 雨の「あ」の字も感じさせない絶好の登山日和のもと、 コイカクシュサツナイ岳によじ登って、 さらにハイマツをこぎつつヤオロマップ岳へと進み、 その頂上直下にテントを張って、ビール三昧。 しかし、しかし、一夜明けると、 意識朦朧の酔っ払い状態で聴いた、 ラジオの天気予報が告げたとおりの大雨。 しかも、大雨洪水警報発令のおまけ付きで、 1839峰を目の前にしながら登頂を断念して帰路についた。 往きは、にこにこ川歩きだった、 札内川水系・コイカクシュサツナイ沢は、 太平洋沖で台風並みに発達した低気圧による大雨で増水し、 パッと見は、静粛な女性のように見えたけど、 その正体は、夜中に行灯の油をなめる妖怪だった、 とでもいうように、大変身していた。 水量が多すぎて徒渉ができないものだから、 思わずザイルが欲しくなるような「高巻き」を、 命がけ、ほうほうの体で、気の遠くなるくらい繰り返し、 「ごめんなさい、私が悪うございました……」 と泣きべそをかきながら降りてきたのだった。 さらに、2000年の7月に、 カムイエクウチカウシ山へ登ったときのこと。 コイカクシュサツナイ岳までの縦走を計画していたのだが、 好天が続くという天気予報が見事に外れて、 いざ“コイカク”へ出発、という、 入山3日目の朝から雨が降りはじめた。 晴天の“カムエク”には登れたものの、縦走は断念。 目に見えて増水していく札内川・8の沢にビビりながら、 (ケガをして救助を待つ遭難者にも遭遇した)、 これまた半泣き状態で帰ってきた。 「雨乞い」で十分食っていけるかもしれないこの二人は、 それでも、毎年めげずに日高山脈を目指すのである。 7月23日 釧路・十勝地方に、大雨洪水警報発令(またかよ!)。 暴風雨をついて、滞在先の阿寒湖を出発し、 足寄、十勝三股経由で、層雲峡へ。 サドマゾカメラマンしもべくんとは、 24日の夕方に帯広で落ち合う予定なので、 その前にちょっとした足慣らしを兼ねて、 圧倒的なまでの大雪山のお花畑を堪能するべく、 「お鉢」を巡ろう、という算段でいたのだ。 宿泊は、小奇麗に生まれ変わった層雲峡温泉のホテル、 と言いたいところなのだが、実際には、 黒岳ロープウエイの駐車場に停めた、 我が愛車、ジムニー・シェラの中。 トホホ。 天にお神酒を捧げるつもりで、 ビールをたらふく飲み、晴れを祈る。 7月24日 白々と夜が明けても雨足は一向に衰える気配が無く、 午前6時の段階でとっとと登山をあきらめ、帯広へ向かった。 しもべくんとの待ち合わせまで、 半日以上も時間があったので、ふと思い立って、 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』を見ることにした。 (帯広の映画館で、平日満員だったのは初めてだ!) いやあ、なかなか。 「もののけ姫」よりは、ずっと面白かったなあ。 日本のアニメは、ハリウッド映画を唯一凌駕できる、 世界に誇るべきエンターテインメントだぜ。 おっと、脱線、脱線。 日高山脈のことを書いているのだった。 つづく |
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