楽園ペンケ&パンケで、地獄の筋トレ 4
〜最終回〜

(2003/2/28)



腹を満たした5人の男たちは、
わずか数分で空になった鍋を囲んで、
甲羅干しをするウミイグアナのように、
春のような太陽に向かってしゃがみ込んでいた。

このまま、バックパックを枕にして、
まどろみの世界にたっぷりと身を浸し、
目覚めたら、即、宴会に突入!
と、いう感じになったら最高なのだが、
我々には、『阿寒湖氷上フェスティバル』での、
「夜」の仕事が待っている。
名残惜しいが、お帰りモードに切り替える。


「さっきさ、『カバアナ』を見つけたんさ。
 けっこう高いところにあるんだけど、
 どうにかして採れないかなあ」

歩きはじめてすぐ、ノーザンパイクたいぞうが、
群馬弁混じりに言う。

『カバアナ』とは、カバノアナタケ、という、
ダケカンバや、シラカバなど、
カンバ類に発生する、きのこのことだ。
焦げた跡というか、溶岩というか、石炭というか、
形状は、真っ黒で、縦横にひび割れ、ものすごく硬い。
煎じて飲むと癌にすごくよく利くとかで、
数年前から密かなブームになっており、
販売価格は、100gで5000円以上もするという。
(最近は、ロシア産が出回り、値崩れ気味とか)

しばらく歩いて、目指すダケカンバに着いた。
樹が二股に分かれているその丁度真下に、
大きな黒い塊が、確かにある。
しかし、傾斜地だし、5mくらいの高さにあるから、
採るのは、ゼッタイに無理。
指をくわえて眺めるのみ、である。

『カバアナ』は金になるから、
中には、すさまじい採り方をする輩がいる。
樹に板を打ち付け階段にして登る、なんて、
まだマシな方で、
下から散弾銃をぶっ放すとか、
樹そのものを切り倒してしまう、
なんて話も聞いたことがある。

白状すると、実はね、我々は、
この冬の間に、各地の山をせっせと歩き、
末端販売価格数十万円にはなるだろう、
大量のカバノアナタケをゲットしているのさ。
でも、みんな、親やら知り合いやらに分けてあげて、
金もうけをした奴が1人もいない、というのが、
素晴らしい!
エライ!
でしょ?


それにしても、すごく歩きにくい。
スノーシューの裏についている金属の爪に、
びっしりと雪がつき、塊になっている。
そしてそれが歩くにつれ、別の雪を呼び、
どんどん大きく成長しているのだ。
スノーシューは、雪の重さで、
より深く深く沈んでしまう。
沈んだまま雪を蹴っ飛ばすのも腿に負担がかかるし、
足を持ち上げるにも、ものすごく大変。
ここまでくると、苦行以外の何物でもない。

ファームス蔵崎の山スキーの裏には、
逆走防止(?)のために、シール、と呼ばれる、
アザラシの革(本物)がついているのだが、
それにもびっしりと雪がこびりついている。

「こんなの、初めてですう、つらいですう」

という彼の嘆きは、そのまま、
帰路を急ぐ我々全員の声を代弁していた。

望むべくもない好天と引き換えに、
我々は、この試練に堪えなければならないのだ。
しかし、2月の下旬に、こんな状態になるなんて、
想像もしてなかっただけに、ものすごい負担だぜ!
平坦な湖上でこれだから、
登りになったらどうなるんだろう?
あ、いやいや、ここでは考えないでおこう。
きつくても、一歩一歩進むしかないのだ。


離合集散を繰り返し、
ペンケトーの「中心」まで戻ってきた。
遥か遠く、南側の山の上の方に、
国道241号を走るトラックと、
双湖台駐車場の高台にある売店が見える。
と、いうことは、
上から見下ろせば、カラフルな格好をしてるだけに、
我々の姿も確認できるんだろうな。
足跡やスキー跡も見えたりして。

ここからが、正念場である。
あとは、登りしかないのである。
最初楽すりゃ、後がつらい。
これから挑む双岳台へのルートは、
双湖台からの下りに比べて、
斜度が比較的緩やかなのが、
せめてもの救いである。

クラッシャー岳とブルーホリック嘉藤が、
迷わず真東に向かって進み、
水際の、急な斜面に取りついた。
あれれ?双岳台へは、確か、
ペンケトーの南端近くから、
登りはじめるのではなかったっけ?
軽い疑問が、浮かんだのだが、
岳は以前にもこのルートを登っているはずだし、
途中でルートを補正すればいいか、と、
思い直し、後に続いた。

きっと、パーティーの遭難って、
こういう感じで、地図も確認しないで、
まあいいか、って進む時に起こるんだろうなあ。
そう、悲劇は、起こるべくして起こるものなのだ。
フフフ。


急な斜面に大量の雪が積もっているから、
胸のあたりまでせり出している雪を掻き分け、
足場を踏み固め、どちらかの手で樹木をつかみ、
少しずつ身体を持ち上げていく。
スノーシューでこの塩梅だから、
スキー組は、大きな迂回を余儀なくされる。
嘉藤と蔵崎は、斜面を斜めにトラバースするため、
どんどん遠ざかっていく。

腿とふくらはぎの筋肉が悲鳴を上げ、
大量の汗が、額に巻いたバンダナを決壊させ、
歪んだ顔面を滝のように流れ落ちる。
ひ〜、つ、つらいよお。

スノーシューの裏にこびりついた雪のせいで、
本来すべり止めになるはずの爪が全然効かず、
登ってはずり落ち、登ってはずり落ちる。
頭の中で、

「い〜っぽ進んで、にほ下がるう」

と、水前寺清子のだみ声がこだまする。
いかん、いかん、足の付け根の外側が、
ケイレンしそうだ。

東南へ針路を取るつもりで、
右斜め前方に向かって進んでいくと、
水が流れているわけではないが、
けっこう大きな谷筋にぶつかった。
真っ直ぐ突き進むのを、ちょっと躊躇する。
仕方なく、谷の上を迂回すべく、
東側に大きく回り込むことに。
ふう、こりゃあ、大変だ。

それにしても、斜度が全然緩やかにならない。
どう考えても、このルートは、おかしい。
そう思いつつも、東南方向への地形は、
なぜか、さらに急な斜面が待っているので、
東へ東へと流されてしまっている。
ま、多少ルートがずれたとしても、
国道241号のどこかに出るだろう、と、
楽観的に考え、現状をオブラートにくるむ。

何よりも、この風景は、素晴らしい。
双湖台から降りてきたルートに、
勝るとも劣らないくらい、いい森だ。
樹は、ほとんどがトドマツとダケカンバ。
で、また、樹と樹の間隔が、絶妙なのね。
いま、樹々が生えている場所は、
激しい生存競争を勝ち抜いた、
たった1本の樹だけに与えられた「生きる場所」。
そう、樹が十分に育つためには、
それだけの空間が必要なのだ。
自然界に潜む、美しい数式を見る思いである。

標高が高くなるにつれ、
ダケカンバの比率が増えているようだ。
風雪でぼろぼろになった白い木肌とはうらはらに、
圧倒的なまでの生命力を感じる。
嘉藤とは別の、スキーの跡が、
樹々の間を縫うようについている。
きっとカバノアナタケハンターのものだろう。

ほんの少し、傾斜が緩み、
ようやく、周りに目をやる余裕ができた。
嘉藤が例によって、ジグザグと先頭を行き、
そのあとに、ぼくと岳が、ほぼ並んで続く。
後ろを振り返ると、樹々の間に、
蔵崎と、たいぞうが見え隠れしている。
とにかく、前進、前進。


いつの間にか、5人全員が、
50m以内に勢ぞろい。
嘉藤と蔵崎以外は、Tシャツ1枚の春モードである。
10歩進んでは、30秒休む、という、
「超お疲れモード」で、うつむきつつ、黙々と歩く。
スノーシューが、鉛のように重い。
運動不足でなまった心臓が、バクバク言う。
煙草で汚れた肺が、新鮮な空気を求めてあえぐ。
大して重くもないデイパックが、肩に食い込む。

そろそろ双岳台に着いてもよさそうなのに、
国道を走る車の音ひとつしない。
ゴールは、まだか?
シジュウカラがさえずる音と、
雪を踏みしめる音と、
自分の荒い呼吸の音だけが、
聞こえるそばから、森に吸い込まれていく。

「あ、たぶん、あの丘を越えたら、
 双岳台ですよ」

バックパックの両側にスキー板をくくりつけた岳が、
希望的観測を述べて、斜面を登る足を早めた。

「キツイです。ツライです。
 スキーが重いです。そろそろ限界です」

半分泣きそうな顔をして蔵崎が言い、

「ヤッベー、さっき転んだとき打った尻が、
 思いっきし痛えよお、もう歩きたくねえよお」

珍しく弱音を吐く、たいぞう。

丘を登り詰めた岳が、何やら叫んでいる。
急ごうにも急げないので、
とにかく、声のする方に進む。
みんな、ほぼ同時に、「頂上」へ到着。

「やったあ!着いたあ〜、あ?
 は?ここは、いったい、どこ?」

我々は、限界近くまで体力を費やしたあげく、
まったく見当違いの場所にたどり着いたのだった。
全身から力が抜け、顔には薄ら笑いが浮かぶ。
谷を挟んだはるか南の彼方に見えるのが、
本来の目的地である、双岳台の駐車場。
キープした蔵崎のデリカのフロントガラスが、
太陽の光を受けて、金色に輝いている。

「ああ、私の車が、あんな遠くに……」

ぼう然とする蔵崎、いや、全員。


「はっはは〜。
 まあ、まあ、皆さん、
 コーヒーでも飲みましょう」

まず立ち直ったのが、嘉藤。
そう、とにかく、歩かなければ帰れないのだ。
コーヒーを飲み、煙草を吹かして、
気力が満ちてくるのを待つ。
いやいや、目の前には、
なかなか素敵な風景が展開しているではないか!

特に、いま来た西の方角を振り返ると、
目の前に張り出したトドマツの枝越しに、
キリリと屹立した雄阿寒岳が見え、
その南に落ちる裾の斜面中ほどに、
ちょこん、と乗るように、雌阿寒岳も見える。
まさに、絶景、絶景、である。

「まだまだ時間に余裕はあるし、
 こういう寄り道もいいよねえ」

「滅多に来れない場所だから、
 まあ、来て、よかった、よかった」

まもなく、みんな、絶望の淵から帰ってきた。
うん、何事も、プラス思考が大切なのだ。
地図を出して、現在位置を確認すると、
我々が今いる場所は、
双岳台からほぼ北に1キロくらい離れた、
標高743mの名も無きピークである。
やはり、我々は、登り始めた場所から、
真東に登ってきたのだった。
ここから双岳台までは、最後に登り返しこそあるが、
幸いなことに、さほどアップダウンがない。
1時間はかからないだろう。


ちょっと長めに休憩して、再出発。
がぜん張り切ったのは、スキー組の嘉藤。
このピークからの最初の下りは、
コース状態といい、傾斜といい、雪質といい、
まさに、山スキーのためにある、
と言っても、過言ではない。
直滑降で、ビュ〜っ、と飛び出した嘉藤は、
ものの1分もしないうちに、
みるみる谷の底へと消えていった。

同じスキー組の蔵崎は、
ややおっかなびっくり、ちょいへっぴり腰なので、
半分走るように下る我々スノーシュー3人組の、
ほんの目と鼻の先を、付かず離れず進んでいる。

この辺りでは、イチイやミズナラに加え、
か細いハンノキも見られるし、
エゾリスの足跡もあちこちにある。
少し離れただけで、森の生態系は、こうも違うのだ。

再び登りに差し掛かるも、
ゼイゼイ言う間もなく、車の走行音が聞こえ、
ひょい、と国道241号に出た。
車道を100m歩いて、双岳台に到着。
時刻は15時少し前。
743mのピークから、何と、
30分足らずで、着いてしまった。
ラッキー!

しかし、やっぱり、疲れたあ。
ふくらはぎも腿もペンパン、いや、パンパンだぜ。
まさか、体育会系の根性トレーニングみたいに、
鉄下駄をはくような目に合うとは、思わなかった。
しかも、こんなに遠回りまでして。

みんな、本当に、お疲れさんでした。


双湖台の駐車場を過ぎたところで、
運転席の窓から眼下を見下ろした蔵崎が言った。

「あ、見えます、見えます。
 ペンケトーに、我々の足跡が、
 しっかりとついています」



了。


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