楽園ペンケ&パンケで、地獄の筋トレ 2

(2003/2/28)



細長く伸びたペンケトーの、ほぼド真ん中を、
北に向かって、真っすぐ進む。

氷結したペンケトーに降り積もった雪は、
ある場所では、さらさらとした流砂のように風に舞い、
またある場所では、
魚の鱗のような模様を形成している。
そこに、
スキーが平行線を描き、スノーシューが破線を描き、
シカやキツネの足跡が縦横無尽に交差。
まるで、抽象絵画のキャンバスだ。

左手側、つまり、西の方角を見ると、
北に向かってなだらかに下る手前の稜線と、
そのひとつ奥にある、南に向かって落ちる稜線が、
交差したそのちょうど真上に、
雄阿寒岳の白い三角錐の頂上が見える。

白い湖上、湖畔に立つクリーム色のダケカンバ、
トドマツの深い緑色に雪の白をまぶした稜線、
そして、雄阿寒岳に、青い空。
う〜む、絶景だ。
街で見る空とは同じものとは思えないような、
この空の青い色を見るだけでも価値があるぞ。
ぐるり、と辺りを見渡しても、
いまだに、小さな雲ひとつ見えない。

ペンケトーの南の端から北の端までは、
およそ1.5キロくらいあるのだが、
その真ん中辺り、
東西南北が開けた湖の重心のような地点で、
先行スキー組が待っていた。

「お疲れさん」

ブルーホリック嘉藤が、
熱々のコーヒーを手渡してくれる。
さえぎる森がなく、風が強いので、
汗が急激に冷えてくる。
さすがに、Tシャツ1枚じゃ寒いので、
腰に巻いていたジャケットを着込む。

帰りは、この東側の斜面をよじ登り、
双岳台を目指すことになるが、
傾斜は、双湖台から下りたルートよりも、
はるかになだらかなはずである。


全員が集結したのも束の間、
コーヒーを飲み終わるやいなや、
5人が5人、散り散りに歩き出す。

真っ先に、勢いよく飛び出したのは、
体力が有り余っている嘉藤。
スキー&黄色いジャケットが目印である。

アルペンスキーからスノーシューに履き替えた、
クラッシャー岳が、そのあとすぐに続く。
薄い空色のジャケットを脱ぎ、
濃紺のフリース姿になっている。

青いジャケット着用のファームス蔵崎は、
もっといろいろな樹が見たい、
と、西側に向かって進みはじめ、
黄色いジャケットを着たノーザンパイクたいぞうは、
「カバノアナタケ」があるかもしれない、
と、ダケカンバが密集している東側へ。

赤いジャケットを腰に巻き、
再びグレーの長そでTシャツ1枚になったぼくは、
他のみんなの背中を見つつ、
北の端へ向かう最短ルートを選んで歩き出す。


北の端に近づくにつれ、湖の幅が狭まり、
川か水路のような様相を呈してくる。
するとまた、風の勢いが弱くなり、
時を置かずして、汗が吹き出してくる。

気温がぐんぐん上昇している。
雪質が、本来のパウダースノーから、
内地の湿った雪のように変わりつつあるようだ。
いつの間にか、スノーシューのアイゼン部分に、
雪がこびりついて、団子状態になっていた。
どうりで歩きづらいはずだぜ。

先頭を行く嘉藤が、
北の端にたどり着き、続いて、
たいぞう、蔵崎が合流した。
そこから先は、今回の最大の難所で、
パンケトーまで、流れに沿って、
500m進むうちに70m下るのだ。
傾斜はけっこうキツイし、
地形図を見れば分かるのだが、
左岸は、断崖絶壁になっているので、進めない。

ぼくと、岳は、みんなから50mくらい離れていた。
当然、みんな、ペンケトーの端で、
ぼくらを待っているものと思っていたのだが、
そこはさすがに個人主義者軍団。
まず、嘉藤が姿を消し、
たいぞう、蔵崎も後に続いた。
あ〜あ、しかも、左岸を行っちゃたよお。

そう、何を隠そう、
このペンケトー、パンケトーを歩いた経験があるのは、
ぼくと、岳だけ。
つまり、他3名は、過去、ぼくらが苦しんだ、
同じ試練に飛び込んでしまったのだ。

「まあ、いいか」

「だって、仕方ないすよね」

「へへへ」

「あそこ、辛いすよねえ」

ぼくらは、お手並み拝見、高見の見物、と、
ニタニタしながら、安全で簡単な右岸を、
大きく、大きく、回り込んで行ったのだった。
果たして、哀れな3人の運命やいかに?


パンケトーへと流れ落ちる「川」を見下ろしつつ、
ぼくと、岳は、東側の斜面を登る。
ある程度の高さを稼いだら、
あとは、水平に移動するのみである。
しかし、傾斜がキツいうえに、
(軽く斜度30度以上はあるだろうな)
膝上まで雪に埋まるものだから、
決して楽な行程とは言いがたい。

この辺りの森は、
トドマツ、ダケカンバが80%を占め、それに、
アカエゾマツ、イチイなどの針葉樹と、
タモ、ミズナラなどの広葉樹が入り交じっている。
太陽の陽はあまり当たらないし、
極限に近いような気象条件だから、
全体的に、ほっそりとした樹が多い。
風が、流れに沿うように、南から北に吹くらしく、
樹の南側半分に、びっしりと雪がこびり着いている。

沢の流れを一望できる、
高台みたいな地形に差し掛かったので、
左岸決死隊の動向を確認することにした。


おお、いる、いる。
青いジャケットに、黄色いジャケット。
あれ、あれ、嘉藤の姿が見えない。
あちゃあ、思ったよりも、先に行っちゃったな。

上から見下ろすと、
左岸の傾斜は大したことないように思われるが、
いやいや、実際には、あれが、すごく大変なんだ。

「おおい、あんまり無理するなあ。
 その先は行けないぞお。
 引き返して、右岸に渡って、
 上に登ってこおい」

沢から20mくらいの高さで、
針路を決めかねて固まっている、
蔵崎に声をかける。

「はあい、分かりましたあ」

ちょっと心細そうな声で答えが返ってきた。

行動を起こしたのは、
たいぞうの方が早かった。
彼は、スノーシューをはいているので、
傾斜地の行動力は、山スキーに数段勝るのだ。
斜面をトラバースするとき、
山スキーをはいているとさ、
向きを後ろに変えるだけでも大変なんだよなあ。

彼らは、まあ、シロウトではないから、
安心して見ていられたけどね。
いや、正直に白状すると、実は、
落ちろ、落ちろ、と念じていたのだけど。


視界から消えていくらもたたないうちに、
ハア、ハア、ハア、と息をはずませ、
たいぞうが、右岸の傾斜をよじ登ってきた。

「カトさん、ずっと先に行っちゃったよお」

「あの先は絶対に通れないはずだから、
 そのうち戻ってくるよ」

のんびり煙草をくゆらせていると、
雪の白と、トドマツの葉っぱの緑、
逆光を受けた樹の幹の黒が構成していた眼下の世界に、
ちょん、と黄色いものが加えられた。
遥か彼方ではあるが、
ようやく、嘉藤も戻る決心をしたらしい。

やがて、蔵崎が、

「いや、大変でした、参りました、疲れました」

と言いつつ、息をゼイゼイ切らして、
悪魔との戦いから、無事、生還してきた。
汗をダラダラと滴らせた大きな顔は、
疲労のために引きつっている。

しばらく雑談をしてから嘉藤を探すと、
ぼくらのほぼ真正面で、斜面と戦っていた。
やや上に登るようにしばらく前に進むと、
がに股になって、片方ずつスキーの向きを変え、
逆に向かってさらに上へ登るように進み、
また、がに股になって、を繰り返している。
つまり、高度を稼ぎつつ戻るために、
スイッチバック方式を採っているのであった。
いや、さすが、さすが。

「おおい、大丈夫かあ」

「だいじょ〜、ぶう」

彼の声は、いつもにも増して真剣である。

「心配するなよお、いまあ、
 ちゃんと写真撮ってやるからあ」

「は、はあ?はあ、
 ありがど、ございば〜ず」

この期に及んでも、律義な奴である。


ついに、ようやく、やっと、
嘉藤が、ぼくらと合流したのは、
彼の姿を確認してから、そうだな、
時間にして、45分くらい経ったころかな。

「づ、づがれだあ」

「ほい、お疲れさん。じゃあ、先に進むか」

「ぢょ、ぢょっど、待っでぐれええ、
 ハア、ハア、ゼイ、ゼイ」

思わぬところで全員集合することになったもんだ。
背中のデイパックから、セイコーマートオリジナルの、
ジャスミンティーを再び取り出して、口に含む。


さて、この経緯を踏まえて導き出せる、
山遊びの鉄則並びに教訓は何だろう?

いくつもあるよなあ。

まず、事前に地形図で、
行動予定ルートを確認することの大切さね。
初めて挑むところなら尚更である。
それから、判断、ね。
そのルートに対し、自分の体力と能力を考慮しつつ、
先に進むか、戻るかを的確に決めること。
(左岸ルートを途中で引き返した3人の判断は正しい)

「お前さ、左岸は行けないって、
 何で教えてくれなかったのよ」

ようやく、正常な発音にもどった嘉藤が、
上弦の月のような目をして、岳に文句を言う。

「途中で教えようと思ったけど、カトさん、
 どんどん先に行っちゃったじゃないすか」

「あれえ、そうだったけか、アハ、アハハ」

「そうですよお」

ホントにそう、経験者のハナシは、
きちんと聞いた方がいいってことさ。
まあ、彼らなら大丈夫だと思ったから、
こっちは楽しませてもらったのだけどね。

あ〜あ、あの3人の真剣な顔……。
面白かったなあ。


つづく

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