浮雲堂 2003年の本 10傑
2003年 12月 29日 火曜日

今年、2003年に買った本は、
漫画、文庫本などを合わせると、200冊強くらい。
で、そのうち、8割弱を読んだ。
ジャンルとしては、小説が多かったのだけど、
気に入った本の多くは、新聞や雑誌の書評で、
すでに取り上げられているので、
なるべく重ならないものを紹介したい、と思いますが……。
(順不同)



「ヘルター・スケルター」
岡崎京子(祥伝社)

今年は、新刊、復刊が相次いだが、
おそらく、この「ヘルター・スケルター」こそ、
ファンが最も刊行を待ちわびた作品でしょう。
欲望のままに生きていくことは、
快楽なのか、また、破綻なのか。
整形に整形を重ねて今ある地位に上り詰めた
主人公りりこは、スーパースターなのか、
それともモンスターなのか?
う〜ん、深い!
漫画でここまで表現されてしまうと、
小説にとっては、すげえ脅威だと思う。



「僕とライカ」
木村伊兵衛(朝日新聞社)

木村伊兵衛は、やっぱりすげえ。
写真の構図ひとつにしても、
感覚と知識、両方からアプローチしてる。
ハンパな気持ちじゃ、傑作は撮れないのだ。



「グロテスク」
桐野夏生(文藝春秋)

桐野夏生の力技だ。
東電OL事件の事実を元にした小説ではあるけど、
物語は、ほとんど別物のように、より深く展開されている。
傑作は傑作だけど、
挿入される「日記」や「手記」の文体に
ちょい違和感を感じるんだよなあ。
佐野眞一の「東電OL殺人事件」「東電OL症候群」
(ともに新潮文庫)
も合わせて読むべし。



「映画はヤクザなり」
笠原和夫(新潮社)

一流の脚本家とは、
時に優等生で、時に無頼で、時に繊細で、
時に大胆でなければならないのだ。
ただ、自分本位に書けばいいのではなく、
常に客やスタッフを意識して、
映画全体のことを意識して、
「本」づくりをすすめていかなければならない。
後半の、「シナリオ骨法10箇条」は、
学ぶところが多々あった。



「クライマーズ・ハイ」
横山秀夫(文藝春秋)

横山秀夫は、押しも押されぬ、
第1級のエンターテイナーだ!
とにかく、面白かった。
家族関係や、新聞社の人間模様が、
実に、リアリティーを持って書かれているし、
日航機墜落事件を核にして描かれる、
新聞社のどろどろした内幕は、
元新聞記者ならでは。
この人の本に、ハズレなし、である。



「カンバセイション・ピース」
保坂和志(新潮社)

とりたてて事件があるわけでもなく、
派手な展開があるわけでもなく、
昔づくりの家に住んでいる主人公を核に、
静かに、淡々と、日々が流れるだけの話なのだが、
それはそれで面白かった。
猫と自然描写をベクトルとした、
哲学的考察(?)の妙と、
静謐な文体を楽しめばいいのだ。



「一人でもできる映画の撮り方」
西村雄一郎(洋泉社)

カット割りの仕方や、画面の構成方法など、
参考にできるネタが多いので、
ビデオ撮影をするときはもちろん、
映画を観るときにも参考になりそう。
しかし、しかし、
誤字、誤植の多いこと多いこと。
ちゃんと校正してねえんじゃねえの?



「葉桜の季節に君を想うということ」
歌野晶午(文藝春秋)

いやあ、やられた。
最後の大どんでん返しまで、
見事にだまされていた。
ネタばらしになるから詳しくは書かないけど、
これこそ、映像には絶対に表現できない、
小説ならではの強みなんだよなあ。
途中に挟み込まれる無関係と思われるシーンも、
最後にピリリ、と利いてくる。
恐れ入りました。



「オトナ語の謎。」
糸井重里(東京糸井重里事務所)

それにしても、
当たり前のように使われているビジネス用語は、
純粋な日本語、として考えてみると、
かくも、不可思議なものなんだよなあ。
気楽に読んで、思いっきり笑ってください。



「著作権の考え方」
岡本薫(岩波新書)

カメラつき携帯電話の爆発的普及。
パソコンやインターネットの発達。
1億2000万人、総クリエイター時代の今、
著作権と関連なしに生きていくことは不可能である。
だからこそ、きちんと学んでおこう。
(いささかの「役人くささ」は我慢、我慢)






寿命
2003年 12 月 21日 日曜日


ここ半年くらい、テレビの調子が良くない。
スイッチを入れて、しばらくすると、
画面の上下がゆらゆらと揺れはじめる。
映像部分は、徐々に圧縮されて面積を減らし、
やがて、ブラウン管の真ん中で、
幅1センチあるかないかの、
1本の横線になってしまうのだ。

横線部分は、全体的に眩しいほどに光り輝き、かつ、
赤や青や緑のカタマリが、左右に行き交う。
普通に聞こえる音声と合わせてみると、
何となく、画面が想像できるような気もするが、
テレビを見るのに、そんな超能力を要求されても困るぞ。

症状が出はじめた当初は、
電源を切って再び入れ直すと回復したのだが、
しばらくするうちに、それでは対処できなくなった。
では、どうやって現状復帰させるか?
多分、同じ状況に陥ったら、
多くの人が試すであろう、最終的、原初的な方法。
そう、テレビをひっぱたくのである。

この方法も、
画面がゆらゆらと揺れている状態では利かず、
完全に一直線に圧縮されてからでないと効果がない。
さらに言うなら、たたく強さも、ハンパじゃだめ。
覚悟を決めて、思いっきりぶったたくのだ。
もちろん、こんなんじゃあ、根源的解決にはならないが。

ま、そろそろ、というか、完全に、寿命ですな。


ステレオも調子が良くない。
ファンクションの切り替えが不安定になってるし、
(リモコン操作では、ほぼ使えない状態)
CDをセットすると、読み込むまでにかなりの時間がかかる。
読んでくれればいい方で、チリチリチュルチュルと、
読み込もうとする音がしばらく続いたあと、
「NO DISC」なんて表示が出ることもしばしばだ。
(「DISC」と「DISK」は違うからね!)

おいおい、ディスク、入ってるだろ!

と、ステレオに突っ込みを入れても虚しいだけである。


シャープのテレビ(29型)も、ソニーのステレオも、
当時(バブル全盛期)の、最新上位機種で、
それぞれ、20万円くらいしたはずだ。
高い金を出したとしても、AV機器の寿命は、
やっぱり、10年そこそこなんだろうか?
(ウオークマンも、既に死んでいる)
18カ月くらいのサイクルで、
性能が倍になるか、値段が半分になる、といわれる、
パソコンやその周辺機器、デジカメなどに比べれば、
AV機器の寿命は長い、とも言えなくはないけどね。

そろそろ後継機種を検討するとします。


ちなみに、同じ時期に買った、
ビクターのビデオデッキ、
タスカムのカセットマルチトラッキングレコーダーは、
現役バリバリ、快調そのもの。
が、そのうち、
ビデオデッキは、DVDレコーダーに、
アナログのMTRは、デジタルに、
その座を譲ることになるんだろうけど。

いずれにせよ、AV機器は、安いものではないので、
大切に使いたいと思います。
(単に、買い替える金が惜しいのであるが)






ハダカのハナシ
2003年 11月 20日 木曜日


11月18日の午前中に、
かねてからアマゾンで予約しておいた、
The Beatles『LET IT BE...NAKED』(US版)が届いた。

世界同時発売は、11月17日のはずだが、
日本版だけは、何故か、14日に先行発売。
本来であれば、3日も早く聴ける!と大喜びして、
14日に、速攻で入手しているはずなのだが、
今回は、様相が大きく違うのであった。

何故か。
東芝EMIが発売する日本版は、な、なんと、
CCCD(コピーコントロールCD)なのだ!
そんなもん、誰が買うか!


パソコンの急激な普及などにより、違法コピーが横行し、
著作権などに対する人々の意識が低下しているのは事実。
ぼくも「著作権の世界」で生活しているから、
著作権保護を掲げる企業姿勢は分からないでもないけど、
それでもやはり、CCCDの販売は許せない。
各企業は、違法コピーさえ駆逐すれば、
CDの売り上げが回復すると思っているのだろうか?
(そのCCCDの機能もすごく中途半端なものらしいし)

許せない理由はいくつもあるけど、
いくら世界シェア10%以下(5%以下?)だからって、
Macintoshのコンピューターを、
最初の最初から除外しているのがイチバン気に入らん!
ただでさえ肩身が狭いのに。


2002年の秋以降、全商品をCCCD化すると表明した
エイなんたら、とかいう会社は、
発売したCCCDが再生できない場合でも、
一切の返品を受け付けないらしい。
まがいもんを平然と売っていて、
文句が出たら開き直るってか。
企業倫理はどこへ行っちゃったのさ?

そもそも、CCCDは、通常の、
CDDA(コンパクト・ディスク・デジタル・オーディオ)
=音楽CDを規定した仕様に則してないので、
「CD」って呼んじゃいけないのだ。
つまり、エイなんたら、に所属している限り、
あの、有名な、川魚みたいな名前の歌手は、
CD売り上げナンバーワンには絶対になれないはずだし、
その作品を、CD売り場に置いてもいけないのだ。


おっと、ハナシがかなりズレてしまった。
『LET IT BE...NAKED』のことでした。

けっこう、いいんじゃないでしょうか。
歌と楽器がすごくクリアーだし、
目の前で演奏しているかのような臨場感もグッド。

でも、ぼくの中では、本家の『LET IT BE』そのものが、
他のアルバムに比べて、それほど好きではないので、
その「別アレンジ」版である『LET IT BE...NAKED』も、
有無を言わさず好き!という程ではありません。

多くの音楽雑誌が「NAKED」の特集を組んで、
「本家」とは、ここが違う、などと書き立てているけど、
(つい、いくつかの雑誌を買ってしまった)
そんなマニアックなこと、あんまり関係ないしなあ。
要は、曲がいいか、悪いか、に尽きる。


実物を見てないので確かなことは言えないけど、
日本版の解説ってのが、どうも、
「本家」のプロデューサーのフィル・スペクターを、
くそみそにけなしているらしいのね。
それは、いかがなものか。

本家『LET IT BE』は、もともと、
映画のサントラとしてつくられたのだから、
あれはあれでいいと思うけどなあ。
ビートルズのメンバーすらサジを投げて、
ひとつのアルバムにまとめきれなかったものを、
ちゃんと形にしたフィル・スペクターの手腕は、
評価されることはあっても、
けなされる筋合いではないと思うのだけどねえ。
ましてや、先日、フィルが、
殺人容疑で起訴されたことは、
このアルバムにはまったく関係ないことだ。

『LET IT BE』がいいか、はたまた、
『LET IT BE...NAKED』がいいか、という問題は、
つまるところ、好みの問題でしょう。


とはいえ、この、ビートルズのニューアルバム、
ぼくは、繰り返し聴いています。
(聴けば聴くほど、どんどん好きになっていく)
4人でやれる「単純な」音楽って、やっぱり、いい。
改めて思うけど、ビートルズは、
偉大なライブバンドだったんだなあ。

それにしても、数々の曲を、
いくつもの異なったアレンジで聴ける、ということが、
ファンとして、素直に嬉しいです。






なんちゃってカメラマン7月前半の山
2003年 7月 15日 木曜日


7月2日 曇り  十勝岳(標高2077m)

5時45分、望岳台から登りはじめる。
避難小屋までは、石がごろごろした緩やかな登り。
大小のイソツツジが満開。
小屋を過ぎると、多少斜度が増し、
ざらざらと崩れ落ちる小石の地形をジグザグに登る。
シナノキンバイ、イワブクロなどが、
丁度咲きはじめたところである。
尾根(?)まで上り詰めると、
火星の表面のような、荒涼とした平坦な大地となる。
左手に雪渓、右手に噴煙を吹き出す噴火口を見ながら、
最後の急な登りが始まるのであるが、
ここからしばらくは、土壌が、粘土質なので、
ものすごく滑り、やっかいである。
耐えに耐えると、岩が重なり合う頂上へ。
登るときは、晴れ間も見えていたが、
みるみる霧に追いつかれて、真っ白の世界。
(登り2時間15分、下り1時間20分)

tokachi

tokachi2

tokachi3





7月7日 晴れ  十勝幌尻岳(標高1846m)

6時25分、帯広市郊外の、
オピリネップ沢林道終点登山口から登山開始。
しばらくは、沢に沿って進む。
沢から離れると同時に、
針葉樹、ダケカンバの森に入る。
登山道はしっかりしているものの、
急成長している笹が足下を隠す場所もある。
両側が切れ落ちている尾根筋は、
最初こそ緩やかな登りであるが、
すぐに、これでもか、これでもか、という、
心臓バクバクの急登に。
途中、シラネアオイの群落がある。
稜線まで到達すれば、多少木々にさえぎられるが、
日高山脈の核心部が一望できる。
最後に、イワツツジ、イワブクロが咲く、
ハイマツ帯を登り詰めると、
第一級の展望が待つ頂上である。
オホーツク高気圧が北海道に張り出しているため、
下界は、雲の下に隠されている。
初心者にはツライかもしれなけど、オススメの山である。
(登り2時間15分、下り1時間40分)

kachiporo

kachiporo2

kachiporo3





7月8日 晴れ  伏見岳(標高1792m)

6時20分、登山開始。
しばらくは、ジグザグと緩やかに登っていた道が、
突然、急な登りに変わる。
日高の山はどこもあなどれないのである。
樹が針葉樹からダケカンバに変わりはじめると、
尾根筋に出て、そこそこ見晴らしもよくなる。
登るのにうんざりしてくる頃、
ハイマツが姿を見せはじめ、
隣の妙敷山と同じくらいの高さに到達。
ハイマツ帯に入ると、
シナノキンバイ、ナナカマドの花に出迎えられ、
格別の眺めが待つ頂上へ。
オホーツク高気圧の勢力下にあるので、
雲海にそびえ立つ日高の山並みが楽しめた。
気軽に日高の展望を楽しみたいなら、イチオシ。
(登り1時間40分、下り1時間10分)

fushimi

fushimi2

fushimi3





7月13日 曇り  西クマネシリ岳(標高1636m)

通称オッパイ山と呼ばれ、西クマネシリ岳は、
十勝三股から見るとき、右の乳房である。
6時30分、十勝三股の、
シンノスケ3の沢林道奥にある登山口を出発。
日曜日のせいか、他に、2組8人の登山者がいる。
林道の名残とも枯れ沢ともいうべき道を進み、
廃屋を右手に見てからしばらくは、
大きなフキが生えている、沢の縁を行く。
ふたたび林道の名残のような道となり、
しばらく歩くと、ようやく「山」の中に入る。
傾斜はそこそこ急で、
針葉樹やダケカンバが入り交じった森を、
ジグザグ、ジグザグと登る。
黄色い花をつけたヤチブキ群落を過ぎると、
ダケカンバの森になり、
やがて「オッパイ」の谷間に出る。
ここからちょっとだけ、
ロッククライミング的な岩場登りを経て、
ハイマツの中を進むと頂上である。
霧のために、石狩連峰はおろか、
十勝三股の原生林もまったく見えなかった。

nishikuma

nishikuma2

oppai
(この写真は7月3日撮影)


注:登山時間は、たまたまその日、その時間かかった、ということです。






前途多難!? 昇進祝賀暴風尾瀬
2003年 6月 5日 木曜日


仙台に出張することになった山師係長は、
すかさず、岩手在住の堕落中氏に、
週末を利用して東北の山に登りたい、と打診し、
どうせおまえもヒマだろう、と、
ぼくにも声をかけてきた。

何だかんだいっても、東北は遠いので、
当初はあんまり乗り気ではなかったのだが、
メールでやりとりを重ねるうちに、
山師係長の、管理職昇進が判明。
それならば、祝宴を開かねばなるまい、と、
参加することに決めたのだ。

ぼくと、岩手支部堕落中氏と、
山師係長改め、山師課長補佐は、
場末の格安飲み屋、六本木のカフェバー(!)から、
たき火を囲む野外キャンプまで、
それこそ、何万本ものビールを一緒に飲んできた、
学生時代からの腐れ縁である。
そして、このメンツが集合したときには、
9割以上の確率で、雨になるのである。
(昨年の朝日連峰登山の時も雨だった)

ぼくと堕落中氏の二人で行動するときは、
そんなに雨が降った記憶がない。
と、言うことは、誰が雨男なのか、
賢明なる紳士淑女の皆さまならもうお分かりですね。

飯豊、朝日、蔵王、月山、船形山、那須連峰と、
候補地はいくつか挙げられたのだが、
何故か、堕落中氏が、強行に尾瀬行きをプッシュ。
そうなれば、別に、強く反対する理由もないので、
5月30日の夕方に、福島県桧枝岐村の、
某キャンプ場に集合することになった。

5月最後の週末の天気予報は、言わずもがな。
山師課長補佐の昇進を祝うべく、
台風4号なんてのも日本に接近しているのであった。
う〜む、さすがである。


30日は、嵐の前の静けさともいえる好天。
遥かな尾瀬は、輝くような新緑に彩られ、
ハルゼミの声が、清流の岩々に染み入っていた。
無事に合流した我々は、
堕落中氏得意のオートキャンプ大作戦に庇護され、
群馬が誇る名店、榛名町の山木屋のモツを、
七輪でじわじわ焼きながら、
ヱビスビールやオールド・パーを心ゆくまで飲んだ。


明けて31日。
朝から小雨が降っており、天気予報は、
昼過ぎから大荒れになる、と告げている。
昨夜飲んでいる段階から、
東北最高峰の燧ケ岳や会津駒ヶ岳登山は、
全然面白くないだろうから止めよう、
との結論が出ていた。
じゃあ、どこへ行くか、何をするか。
停滞=うだうだ攻撃は、別の意味で、危険である。
3人が揃っているのだから、
朝から何本のビールが空くか分からない。

気だるい雰囲気が広がる中、
うだうだ・だらだら友の会会長にして、
その名も堕落中氏が、
どこでもいいから山に登って汗をかきたい、と言う。
じゃあ、アクセスが短い田代山へ行こう、と、
山師課長代理が答える。


国道352号を舘岩村まで戻り、
湯の花温泉の先の林道を行く。
「通行止め」の看板を無視して奥へ奥へ進むと、
田代山登山口の2キロくらい手前で、
法面工事をやっていた。
さらに先へ進もうとすると、
工事のオヤジが飛んできて、

「ダメ、ダメ、これから山を崩すんだから」。


ここであきらめないのが、今年の堕落中氏。

「じゃあ、ここから歩いて行けばいいじゃん」。


雨具を着てまで山に登るのは、久しぶりである。
とはいえ、ぼくと山師課長補佐は、
鬼のように汗をかくので、
いつもの通り、Tシャツ1枚で歩く。

ちょうど食べごろのタラノメやウドを横目に、
林道を30分ほど歩くと、田代山登山口に到着。
そこで、沢を渡り、森の中へと入る。
雨に濡れた木々の緑越しに、
ツツジのピンク色の花と、
モクレンの白い花が鮮やかに浮かび上がっている。
春である。

しかし、登るにつれ、確実に風雨が強まっている。
40分ほど歩いて、小田代と呼ばれる湿原に到着。
木道の両わきに広がっているはずのミズバショウは、
緑の芽が少し伸びたくらいで、見ごろにはほど遠い。
薄いピンク色の花を咲かせた、
ショウジョウバカマが点在しているのが、
まあ、せめてものお慰みだ。

それにしても、すごい風である。
先を歩く二人も、風に背を向けたり、
立ち止まったりして、懸命に耐えている。
雨は、降る、というより、たたきつける感じ。
マシンガンの連射が永遠に続くかのように、
むき出しの顔を容赦なく攻撃してくる。

田代山まで500mという看板を通り過ぎ、
湿原を離れて、また樹林帯に入り込むも、
勢いを増した風と雨を防ぐことはできず、
ずぶ濡れになり、風に飛ばされつつ、
下を向き、無言で歩き続ける。

田代湿原に登り詰めたときには、
嵐がピークに達していた。
アクセスが楽とはいえ、
そこは、1926mの標高を誇る山。
決してナメてはいけないのだ。
もちろん、我々のほかに、人影はない。
堕落中氏は、風にあおられ、
2本平行に敷設してある木道を、行ったり来たり。
ふふふ。
いやいや、笑っている場合ではないぞ。

*****、*****、****!
表記するのをためらうような、
呪い、罵倒の言葉をぶつぶつ吐きながら、
田代小屋を目指して、木道を歩く。
当然、ここでも、ミズバショウの姿はほとんどなく、
花といえばショウジョウバカマだけである。

行けども、行けども、小屋が見当たらない。
雨を吸ったシャツが体温を奪いはじめ、
上半身から、急に寒さを感じる。
むき出しの両腕がキリキリと痛み、
かじかんだ手先の感覚が無くなっていく。

木道の分岐を帝釈山方面に進むと、
湿原を埋め尽くすかのような残雪が現れた。
すると、湿原の向こうにある小さな林の中に、
小さな赤い屋根を発見!
助かったあ!
登りはじめてから、1時間20分経っていた。


田代小屋は、山小屋というより、
大きな祠、という造りで、内部の5分の1くらいが、
でっかい神棚で占められているのであった。
それでも、雨風を凌げるってのは、
何と偉大なことだろう。

Tシャツを脱いで絞ると、
コンクリートの三和土に、滝のごとく水がこぼれる。
速乾性の素材なので、再び着込むと、
体温の熱で、みるみる水蒸気が立ち上っていく。

水分を補給し、チョコレートをかじる。

悔しいので、中で、記念撮影。
ぼくのカメラは、コニカの水中カメラ。
ずっと首からぶら下げていたにもかかわらず、
途中で撮ったのは3枚だけだった。

岩手支部堕落中氏は、
ゼンザボロニカ、もとい、
ゼンザブロニカの露出計と化しているニコンF100。

すごいのは、山師課長補佐だ。
ニコンF3HP&モータードライブ、
レンズは、何と、新品の、
超音波モーター内蔵AF-S 28〜70mm F2.8。
レンズもカメラも、でかい!でかすぎる!
マニュアルフォーカスカメラしか持っていないのに、
最高級オートフォーカスレンズを買ったり、
連写をするわけでもないのに、
モータードライブを付けたりしているなんざ、
さすが課長補佐、やっぱりただ者ではない。
(日帰りなのにさぞバックパックが重かろう!)


こんな日は、長居は禁物。
30分ほど休んでから、
しっかりとレインウエアを着込み、出発。
ひたすら、同じ道を辿る。
来るときには気づかなかったのだが、
木道のすき間に、チングルマの花が揺れている。
暴風雨に耐える姿は、可憐、というより、
逞しささえ感じるぞ。

先頭を行く堕落中氏がいいペースをつくり、
走るように山道を下る。
登山口近くまで来ると、
さっきまでの嵐がウソのように穏やかになり、
ウグイスすら歌を歌っている。
結局、帰りは、40分で下りてしまった。
いやいや、それにしても、大変だったなあ。


湯の花温泉の共同浴場で汗を流し、
その近くのそば屋で腹を満たし、
舘岩のコンビニで、馬刺しやら、唐揚げチキンやら、
当然、大量のビールを買い込み、
再び、ねぐら兼宴会場の桧枝岐村へと戻る。
この夜は、台風の余波を考え、テントは止めて、
バンガローを借りることにした。

それにしても、
500mlの缶ビールを20本も買っておきながら、
これで足りるかなあ、などと心配するのを、
野外で何百回繰り返してきたことか。
(何件の酒屋のビールを買い占めしたことか)
今夜は、オールド・パーが、あと半分残っているから、
多分、大丈夫じゃないかな?


結局、翌6月1日も天気は回復せず、
尾瀬沼へ行く気分でもないので、
昼前に、それぞれの帰路についたのでありました。
(帰り道で、青空が顔を出しはじめた!)

予想通り、波乱含みで始まった、
山師課長補佐の、今後の運命やいかに?
ご多幸をお祈り申しあげます。






「新版・鉄腕アトム」は、見ちゃいけない?
2003年 4月 9日 水曜日


2003年4月7日は、何の日でしょう?

まあ、ここ最近、
マスコミがやたらと騒いでいたから、
知っている人も多いと思う。
そう、この日は、「鉄腕アトム」の誕生日である。

日本は、いまや、
世界有数のロボット先進国なのであるが、
その原動力というか、心の支え、というか、
とにかく、「鉄腕アトム」があったからこそ、
日本のロボット産業がここまできた、
と言っても過言じゃないと思うぞ。
(もちろん、アニメ産業もだけど)
手塚治虫は、本当に、すごい。


で、「新版・鉄腕アトム」の放送が始まった。
ぼくは、全然見る気がしないの。
と、いうか、これは、見ちゃいけないし、
当然、ガキにも、見せちゃ、ダメ、なのだ。

先日、本当にたまたま、
「新版・鉄腕アトム」の前宣伝の番組を、
一部分だけなのだが、見てしまった。
ほんと、びっくらこいたぞお。

「今度、新しく始まる『鉄腕アトム』は、
 世界標準でつくられてます」

だって。
(確かに、『アストロ・ボーイ』が併記されている)
世界標準?
グローバル・スタンダードってこと?
鉄腕アトムの何が?
頭の中の、???、を解消するために、
番組を見続けたのだけど、
最後には、呆れて声も出なかった。

鉄腕アトムは、アニメだから、
見るのは、子どもが中心になる。
だから、
煙草を吸うシーン、
酒を飲むシーン、
人が死ぬシーン、
アトムと人(悪人)が戦うシーン、
などなどを、みんなカットしてあるんだって。
(と、自慢気なナレーションで説明してた)


おい、こら、作者である手塚治虫が、
登場人物に与えたキャラクターを、
勝手に変えることが許されるのか?
だいたい、喫煙も飲酒も、法律で許されている。
大人は、喫煙も飲酒も、していいんだ(力説!)。
ガキには、大人と子どもの間には、
理不尽なまでの壁があることを、
逆に教えてやらなきゃならないのだ。


人が死ぬシーンをカットだあ?
爆弾が命中したり、
でっかいロボットの下敷きになったり、
高層ビルの屋上から落ちたりすれば、
人は、ゼッタイに、死ぬの。

いま、テレビでやってる、
イラク戦争のニュースを子どもに見せてみなよ。
それでもって、「戦争」ってのを、
きちんと説明できるかい?
市街地にミサイルが落ちれば、
瓦礫の下にはたくさんの死体が転がってる。
炎上している戦車の中でも、当然、人が死んでる。
死人・怪我人の映像は、残酷だから流さない、
というのは大きな間違いだし、
戦争を仕掛けた側の思惑でしかない。
だって、戦争は、残酷以外の何モノでもないでしょ。
今回みたいな、「正義」が、
まったくない戦争においては、特に。
(「大本営発表」をそのままタレ流している、
 日本のマスコミには、もう、うんざりだ)

そう、目をそむけるような「残酷な」シーンは、
逆説的な意味での重要なメッセージでもあるのだ。
戦争、反対!


アトムと悪人が戦うシーンがない、
ってのも、すごくおかしい。
これこそ、手塚治虫が描こうとしたことでしょ?
人間だろうが、ロボットだろうが、
悪は悪、正義は正義。
鉄腕アトムは、悩み、もがき、苦しみながら、
幸せな世界のために、「悪」をやっつけるんだから。


「人間は、自分の内面の善悪と、
 さらに、自分の周りにある善悪とも、
 葛藤を強いられるけど、
 生きているってことは素晴らしい」

というのが、
鉄腕アトムに託した(ほかの作品でもそうだが)、
手塚治虫のメッセージなのではないか、と思う。
(だからこそ「残酷」なシーンも必要なのだ)
「新版・鉄腕アトム」の制作関係者に、
手塚治虫の真の理解者は、いないのか?

腹立たしいのは、
本来的な手塚イズムを、まったく無視してる、
ということであって、
(もちろん、戦争にも怒りっぱなしさ)
「新版・鉄腕アトム」そのものに、恨みはありません。
ただし、「鉄腕アトム」の名を借りて、
売らんかな、だけの商売だけはするなよ、
フジテレビ、その他一同。


「新版・鉄腕アトム」を見た人がいたら、
ぜひ、感想を教えてください。





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