開設1周年
2002年 12月 8日 日曜日


開設1周年を迎えるにあたり、
大々的なリニューアルを考えたのだけど、
当面は、ほぼこのままでいくことにしました。

更新の頻度は、平均すると、
1カ月に1度くらいだったと思いますが、
2年目は、ちょっとだけ頑張って、
半月に1度くらいのペースを維持したい、と考えます。

とりあえず、2003年9月までは、
存続させるつもりでいます。
今後とも、よろしくお願いします。






活字中毒
2002年 11月 8日 金曜日


活字中毒の発作が起こるのは、
決まって、電車の中である。

あ〜面白かった、と、
手にしていた文庫本を閉じ、
デイパックのポケットから、
代わりの本を取り出す……。
あ、しまったあ、無いぞお!

本が読めない、と分かった瞬間、
動悸が激しくなり、呼吸さえ荒くなる。
今読み終わったばかりの本を、
もう一度ペラペラめくったところで、
発作が収まらないことは経験上熟知しているので、
目は、自然と、中吊り広告の文字を追いはじめる。

写真がメインのものよりは、
やはり、文字が多い広告が好ましい。
週刊誌の広告は、もちろんマル。
なにげに、不動産広告がいいのだ。
スペースの片隅に必ず、すごく細かい字で、
「概要」が記してあるから。

とにかく、ぼくにとって、
電車の中で本を切らさないことは、
生活上、すごく重要なことなのである。


どうしてこんなことを書きはじめたかというと、
先日、10カ月ぶりに、東京へ行ってきたから。
(久々の東京の感想は、あえてここでは書かないが)
右手に吊り革、左手に文庫本。
これが、電車内での正しい過ごし方なのである。
(うつらうつらの昼寝も場合によっては許す)

乗り込むが早いか、
右手の親指で携帯電話をキュコキュコする奴が、
最近、老若男女を問わず、すごく多いが、
そういう輩は、即刻死んでいただきたい。
見てしまうと無性に腹立たしい。
お、メール機能付き携帯電話なら文字が読めるか?
あ、いやいや、電車の中で携帯電話を使うのは、
公序良俗に反するのだ!

話はずれるけど、
携帯電話は、何で「ケータイ」って略されるんだろう?
どうしても略すなら「デンワ」でしょう。
「携帯」と「電話」で考えれば、
間違いなく、主体は「電話」なのに。
ま、いいけど、ぼくは、これからも、
「携帯電話」のことを「ケータイ」なんて言うもんか。


さて、さて、ぼくは、東京に出かける前日の夜、
持っていく本を選ぶのに、数時間を費やした。
本箱の前を何回も行き来し、
手に持ってみて、ぱらぱら中身をめくる。
これだ!というフィーリングが無いとダメなのね。

最終候補は、
推理系、純文学系、自然系、新書系。

推理系では、

・「サム・ホーソーンの事件簿2」(エドワード・D・ホック)

・「ハドリアヌスの長城」(ロバート・ドレイパー)


純文学系は(うう、我ながら、渋いなあ)、

・「抱擁家族」(小島信夫)

・「虞美人草」(夏目漱石)

・「かっぽん屋」(重松清)


自然系は、

・「山の博物誌(西丸震哉)」


新書系は、

・「1億3000万人のための小説教室」(高橋源一郎)

・「日本語の教室」(大野晋)


電車の中で眠くなるかもしれないから、
本気の本気で読む本はダメだよなあ、
とか、
あまりに面白過ぎる本も、
乗り越しの心配があるしなあ、
とか、
隣に座ったきれいなおねえちゃんに、
のぞき見られて恥ずかしい本じゃダメだよな、
などなど、
いろいろな考えが頭をよぎる。

はっきり言って、バカである。

それにしても、
活字中毒発作と無縁の人は幸せだなあ。


結局、悩んでもキリがないので、
持っていく本は、アミダクジにして決めたさ。
(当然のことながら、予備もね)
何を持っていったのかって?
えへへへへ、教えな〜い。






阿寒キノコ狂騒曲
2002年 9月 30日 月曜日


大阪から来ていたキノコ小僧が、
キノコの季節ととともに去っていった。


彼、はるお(大学5年生)は、
ここ数年来、夏のひと月を、
ネイチャーガイドのアルバイトをしつつ、
阿寒湖で過ごすことを恒例としているのであるが、
今年は、例年よりも半月ほども遅い、
お盆の時期になってようやく姿を見せた。

8月の頭に試験があったのさ、とすまし顔で言うのだが、
周囲は皆、キノコの発生時期に合わせたに違いない、
と信じて疑わない。


キノコ小僧は、
阿寒ネイチャーセンターのスタッフ連中から、
近くの食堂でごはんをつくっているおばちゃん、
民宿をやっているおとうさんまで、
ちょっとでもキノコに興味を示した人を、
片っ端からキノコ採りに誘いまくり、
朝から晩まで、ヒマさえあれば、
阿寒周辺の森へ通い続けたのだった。

今年の北海道の夏、特に8月は、
悪天候が続いて思いっきり寒く、
(最高気温が10度そこそこ、なんていう日もあった)
予約キャンセルの嵐が吹き荒れ、
ガイドの仕事が激減した。

ネイチャーセンター殺すにゃあ、刃物はいらぬぅ、
と言わんばかりの雨攻撃に苦悩する経営陣をよそに、
キノコ小僧は、にこにこ顔を隠しきれず、
事務所で所在なさそうにしているスタッフに対して、
懇願、買収、または脅しして、同行を強制し、
長靴&レインウエア&カゴもしくはビニール袋の
「制服」にさっそうと着替えると、
愛しきキノコが待つ遠近の山野へと出かけるのであった。


「さあ、行きますよお(関西弁アクセント)」

当然、ぼくにもお誘いがかかる。
仕事はヒマだし、
もともと森を歩くのが好きなものだから、
ついつい一緒にでかけてしまうのである。

阿寒湖周辺には、さまざまな森の形態が見られる。
針葉樹林、針広混交林、広葉樹林、ハイマツ、
などなど、なんでもござれ。
草地もあれば水も豊富。
んもう、キノコさんには、願ったり叶ったり、である。
森が多様であればあるほど、
たくさんの種類のキノコが見られるわけで、
マニアにはたまらないだろうなあ。


キノコ小僧に、キノコの魅力とは何ぞや?と、聞くと、
採取(味覚)、鑑賞、感覚、の妙、だという。

「採取(味覚)」は無条件に理解できるよね。
  ぼくらは、今年、
本当にたくさんの種類のキノコを採取し、
本当にたくさんの種類のキノコを食べた。
知らないものでも、
数種類の図鑑を首っ引きにして、丹念に調べたあげく、
(もちろん、念には念を入れ、区別の怪しいものは除外)
食用、とあるものは、片っ端から食べたのだ。
以下、一例を挙げてみる(大まかな発生順)。

タモギタケ(みそ汁、煮付け)、
キツネノチャブクロ(炭焼き)、
タマゴタケ(バター炒め、みそ汁)、
ナラタケ=ボリボリ(みそ汁、パスタ)
ウラベニイロガワリダケ(みそ汁、煮付け)、
キンチャヤマイグチ(バター炒め、パスタ)、
ヤマイグチ(みそ汁、パスタ)、
シロヤマイグチ(みそ汁)、
ウラグロヤマイグチ(みそ汁)、
ムラサキフウセンダケ(バター炒め)、
ハナビラタケ(みそ汁)、
マイタケ(混ぜご飯、てんぷら)、
マツタケ(炭火焼き、混ぜご飯)、
オオモミタケ(炭火焼き)、
ヌメリイグチ=ラクヨウ(しょうゆ南蛮漬け、みそ汁、煮付け)、
マクキヌガサダケ(中華風スープ)、
ハタケシメジ(煮付け)、
ヌメリスギタケモドキ(みそ汁)、
ノボリリュウタケ(みそ汁)、
ホンシメジ(みそ汁、南蛮漬け、混ぜご飯)、
などなど。

うまかったのは、
タモギタケ、タマゴタケ、ウラベニイロガワリダケ、
キンチャヤマイグチ、ラクヨウ、ホンシメジ、かな。
逆に、ウラグロヤマイグチは、
みそ汁が真っ黒になってしまい、イマイチだった。
残りは、可もなく不可もなく、まあ、普通。
マツタケは、食い飽きるほど食ったけど、
(このセリフ、一度言ってみたかったのさ)
ぼくにとっては、そんなにうまいものではないな。

ちなみに、以上のキノコの写真が見たい、という方は、
メールでリクエストをください。


「観賞」も理解しやすいと思う。
ぼくは、写真を撮るのが好きなので、
さまざまな色や形をしたキノコは、
そのものの姿も、森を写すときの「小道具」としても、
決して悪くない。
赤茶色に敷き詰められた針葉樹の落ち葉や、
鮮やかな緑色のコケの間から、
にょっきりと顔を出すキノコは、
食べられる、食べられない、の区別を抜きにしても、
そそられるものがある。

最後の「感覚」ってのが実に微妙なのだが、
キノコ小僧の弁によると、
手に持った時の質感、および触り心地、なのだそう。
う〜む、分かるような分からないような……。
さすが、キノコマニア、言うことが違うなあ。


ここで告白してしまうと、実は、ぼくも、
キノコに魅せられつつあるのである。

「キノコ採りは楽しい」
「キノコは美しい」
「キノコはおいしい」
「キノコは不思議だ」
「キノコは奥が深い」

などと、キノコ小僧から、昼夜を問わず、
新興宗教の勧誘のようにしつこく唱えられたものだから、
いつの間にか、洗脳されてしまったようだ。
ま、別に、悪いことではないか。
マツタケやマイタケが採れたってことは、
その気になれば、大金を稼ぐ可能性もあるわけで。


紅葉がほぼ見ごろとなった今では、
阿寒周辺のキノコの季節も、
そろそろ終わりが近づいている。
キノコ小僧に続いて、
ぼくが、北海道を離れる日も、もうすぐである。






忍法木変化の術
2002年 8月 10日 土曜日


死ぬかもしれない、と思う状況に陥ることは、
生きるために、自分の全能力をフル回転させる、
という場面に遭遇することでもある。

これまで、ぼくは、
全面結氷した滝の写真を撮ろうとして、
高さ30mの断崖絶壁からずり落ちたり、
(太い枝に引っ掛かって助かった)
河原をぼんやり歩いていて、
10mの至近距離でヒグマとばったり鉢合わせしたり、
(にらめっこでクマに勝った)
下山途中で天候が急変して、
風速50mもの大暴風雪に見舞われ遭難しかけたり、
(風に流され飛ばされしたその先にルートがあった)
と、けっこう危険な目に遭っているんだよね。

いま思えば、いずれの場合も、
事前にきちんとした対策を取っていれば、
避けることができたのだ。
かっちょいい横文字で言うなら、
「リスクマネージメント」ってヤツさね。


崖から落ちないようにするには、
危険な場所に近づかなければいいし、
クマと遭わないようにするには、
鈴などの「鳴り物」を身に付ければいいし、
天候急変に対処するには、
行動を自粛して待機すればいいのだ。

道無き日高山脈に登るのであれば、
行程が困難極まりないので、
考えうるさまざまな危険を予測し、
ほぼ完璧な準備をして臨むのだけど、
近場の野原へ行くにも同じことをするか、
と考えると、答えは、ノー。
悲劇は、往々にして、
そういうときに起こるのである。


忘れもしない、8月1日の午後のことだ。
ぼくは、3人の客を連れ、
(中年紳士と20代後半くらいのカップル)
北海道3大秘湖のひとつ・オンネトーの奥にある、
「湯の滝」へ向かうべく、
林道をマウンテンバイクで走っていた。

天気は曇りだが、気温は25度を超えており、
いつもより少しだけ暑かった。
林道は、針葉樹や広葉樹がつくる緑のトンネル。
花こそあまり見られないものの、
色とりどりのキノコが顔をのぞかせているし、
マイナスイオンをたっぷり含んだ爽やかな風が心地よく、
北国の夏を満喫するにはもってこいだった。


少し急な坂道に差し掛かかると、
おねえちゃんが、MTBを押して歩きはじめ、
ぼくと彼氏もそれにならい、MTBから下りた。
中年紳士は、とうに先へ行っている。

ブ〜ン。

「いやあ、ハチよお」

突然、茶色い声を出したおねえちゃんが、
MTBを放り出して、しゃがみこんだ。
見ると、3〜4センチくらいの大きさで、
胴体があまりくびれていない、
黄色と黒のツートンカラーのハチが、
おねえちゃんの周囲を飛び交っている。

(うわっ、これ、スズメバチじゃんか)

と思いつつも、
おねえちゃんを動揺させないために、
それを告げず、

「動かないで。
 首の後ろを組んだ手でかくしながら、
 しばらくじっとしていてくださいね。
 大丈夫、すぐ離れていくから」
 
と、指示を出した。
案の定、ハチはすぐさま、
おねえちゃんから離れたのだった。


ここまで書けば、もうお分かりですね。
そう、おねえちゃんを離れたスズメバチは、
まっすぐ、ぼくの方へ向かってきたのです。

1秒間に何回羽を動かしているのか知らないけど、
あの高音のうなりは、神経を逆なでするよね。
あんまり刺激しないように、手で軽くいなすのだけど、
スズメバチの野郎は、ぼくから離れないのよ。

で、仕方なく、
忍法木変化の術を使い、「木」になったよ。
両手を組んで首を隠し、その場にしゃがみこみ、
ハチが飛び去るのをじ〜っと待つ。
きゃつめは、フ〜ン、ブ〜ン、プ〜ン、と、
顔のまわりを遠近に飛び回っている。

(ざけんなよお、早くあっちに行け!)

と強く念じたら、それが通じたのか、
遠くへ離れていった。
しかし、すぐにもどってきて、
こともあろうか、ぼくの頭に、ポトリ、と
留まりやがったのだ。

「ひえ〜、ひゃあ〜」

ぼくの代わりに、
おねえちゃんが声を出してくれた。

「だ、大丈夫ですかあ?」

「あ、平気ですから、先に行っていてください
 (んなもん、大丈夫な訳ねえだろ!!)」

こんなことになるなら、
SAS(英国特殊部隊)のサバイバルマニュアルを、
もう少しちゃんと読んでおくんだった!
そんなことを嘆いたところで、
いま、どうこうなるもんじゃない。
それより、これから、どうするかが問題なのだ。
スズメバチが飛び去るのをじっと待つのみなのか?


きゃつめは、ぼくの頭の上を、歩き回っている。
ときどき、何故か、チクリとするのだが、
刺されたという感じではないのだ。

一体、どのくらいの時間が経過しただろう?
5分?いや1分?

またまた、少しだけ、チクリ、と痛みを感じる。
たたき潰すか、振り払うか、
やっぱり、じっとしているか。
頭の中で、目まぐるしく考えが変わる。

足の先から始まった小さなうねうねが、
身体を駆け登ってきて、息が苦しくなる。
動かないように意識して深呼吸をする。

「ハッ」と気がついた。
もしかしたら……。


ガキの頃、クワガタ虫を採りにいくと、
クヌギの樹液に集まる甲虫に混じって、
必ずスズメバチがいたもんだ。
スズメバチは、樹液を吸う。
樹液。

ぼくは、いま、木になっている。
汗をたっぷりかいている。
確か、前日の夜は、
サッポロクラシックビールを2リットルに、
マッカラン12年をボトル3分の1ほど飲んだ。

スズメバチの法則。
酒臭い汗=樹液。


スズメバチの野郎、
ぼくの汗を樹液と勘違いして、
ちゅうちゅう吸っているに違いない。
と、すれば、夢中になっているはずだから、
つかみ取るチャンスはある。
ぼくは、勇気を奮い起こし、
行動に出ることにした。

薄い紺色のハンドタオルを手にする。

深呼吸。

きゃつの位置は、左前頭部。
お、また、チクリとしたから、間違いない。
よおし、やるぞ。

深呼吸。

刺されないよな。
うん、大丈夫だ、きっと。
やるぞ。

右の手のひらにタオルを広げ、
えいやあ!
頭をギリギリかすめる瞬間に、
タオルを思いっきり握り潰す。

手ごたえあり。

ガッツポーズのようになった右手を、
しばらくそのままにして、
勝負の余韻に浸る。
時代劇でも、切り合ったあと、
フィニッシュのポーズでしばらくとどまるでしょ。

頭は別に痛くない。

「勝ったあ」

と言葉に出してつぶやいたあと、
手のひらのタオルを広げる。


どっひゃ〜。
真っ赤っ赤だべ。
血ィやんけ。
(う〜む、何語をしゃべってんだ?)

松田優作なら、間違いなく、
「何じゃこりゃあ」と叫んでいたぞ。
憎きスズメバチは、血の海の中で、
ぺちゃんこに潰れて事切れていた。

つまり、さっきまで、チクチクしていたのは、
きゃつめに血を吸われていたのだ。
おいおい、おれの血は、樹液かよ。

スズメバチの法則改定版。
酒臭い汗=酒臭い血=樹液。


刺されたわけではないので、
病院に行く必要はない、と判断し、
そのあと、すぐに仕事に「復帰」。

「大丈夫ですかあ?」

というおねえちゃんの問いに、
無言でタオルを広げて見せたら、

「きゃあ」

だって。
この人、ボキャブラリーが少ないのね。

スズメバチに刺されて、
アレルギー症状が出るとしたら2時間以内だ、
というハナシを聞いたことがあるような気がしたので、
とりあえずは、大丈夫なんだろうな、
と、自分を納得させる。


でも、その夜、顔の左半分がやけに重く感じられ、
微妙ではあるが、左目を中心に、
広く浅く(?)腫れあがったのだった。
少しだけ、痛みもある。
蚊に刺されても赤く腫れるのだから、
スズメバチに噛まれて、何も無い訳ないよな。

そんな経験をしただけに、
それ以後の仕事や遊びの必需品に、
スズメバチ撃退スプレーが加わったのは
言うまでも無い。

年間の死亡者数からみても、
野山でいちばん怖いのは、
クマでもマムシでもなくスズメバチなのだ。

みなさんも、気をつけましょう。






人はなぜ山に登るのか?
2002年 6月 18日 火曜日

6月15日、16日に、
東北は朝日連峰の最高峰、大朝日岳に登ってきた。
けっこう厳しいルートであるうえに、
今年初めての登山だったので、
思いっきり疲れてしまったのであるが、
久々の東北の山の風景を、堪能させてもらった。
もうね、ブナの森が最高なのよ、本当に。


ここで断っておくが、実は、
ぼくは、登山がきらいである。
だって、疲れるんだもの。

こう書くと、
夏になれば月に何度も、
にこにこしながら北海道の山々に登っているくせに、
といぶかしがる人がいるかもしれないけど、
山の上の風景が好きだ、ということと、
登山という行為が好きだ、ということには、
韓国と北朝鮮くらいの差があるぞ。

「100名山」全突破を目指す
中高年のおじさんおばさんのほぼ10割、
登山が趣味です、という人の、
そうだな、8割くらいは、
何々山を目指したら必ず最後まで登り詰め、
三角点やら頂上を示す標柱やらに直接触るか、
はたまたそれらをバックに記念写真を撮らないと
気が済まない「ピークハンター」であると思われる。
つまり、登頂したという結果こそが最重要なのだ。

しかし、少なくても、ぼくにとっての「登山」は、
美しい景色に出会うための手段なので、
(稜線を行くより、森の中を歩く方が100倍好き)
ピークハントを目的にする一般的(?)な登山とは、
一線を引いておきたい。


数年前の夏、日高山脈を縦走して、
ヤオロマップ岳までたどり着いたときも、
岳人憧れの山と言われる1839峰には、
目もくれなかった。
(同行の友人は歓び勇んで向かったが)
体力的、時間的余裕が無かったわけではない。
でも、ぼくにとっては、
暴力的なほどのハイマツの海を漕ぎ、
背筋が凍るような岩場のアップダウンを繰り返して、
そこから、往復5時間以上かけて、
1839峰に登ることに、魅力を感じなかった。

もちろん、1839峰に行かなければ
出会えない風景はあるだろう。
でも、ぼくは、その5時間の間に、
そのときのヤオロマップ岳でのみ可能な経験をしている。
どういうものに価値を見い出すかは、結局、
その人の哲学次第なのではないか、と思う。


美しい景観を楽して見るために、
自動車で山頂まで行けることを望むか?
はたまた、もし金にすごく余裕があるのなら、
ヘリコプターでもチャーターするのか?
などと聞かれたら、答えは「ノー」である。

価値あるものを手に入れようとする場合、
対価は必ず払わなければならない。
美しいおねえちゃんをゲットするには、
それ相応の努力が不可欠であるように、
人の手が加わっていない大自然と対峙するには、
(北海道でも、日高山脈と知床の一部くらいだが)
自分の足で歩き続けるしかないのだ。


ぼくは、登山がきらいである。
でも、「対価」を払う用意は、十分にある。






体力づくり
2002年 6月 18日 火曜日

ここ数年、人に会うたびに、

「ちょっと、太ったんじゃない?」

と言われる。

ぼくの場合、氷点下30度にもなろうかという、
厳寒の北海道でキャンプをすることが、
趣味、というか、半ば習慣化しているので、
その大義名分として、

「北海道の厳しい寒さから身を守るために、
 わざわざ脂肪を蓄えているのだ。
 これは、『防寒天然脂肪術』といい、
 秘術中の秘術とされているのだぞ」

と、うそぶいていたのだが、
この1、2年は、脂肪の増加が増し、
事実、春になり、夏になっても、
なかなか体重が減らなくなってきた。
(歳も歳だしね)
現状は、人呼んで、
全身霜降り、肝臓フォアグラ状態、である。


登山ガイドやネイチャーガイドの仕事は、
7月から9月にほぼ集中しているので、
例年、6月頃になると、
朝夕のジョギング、
週末の「トレーニング登山」を開始し、
「業務用」の体力・筋力増強に努めてきた。
(もちろん、私生活で日高山脈に登るためでもあるが)

だが、今年は、やけに体が重く感じる!ので、
ゴールデンウイークの東北遠征から戻ったと同時に、
いつもより、ひと月ほど早く、体力づくりを始めた。


ダイエットをするつもりはない。
食事制限なんぞ、考えただけでもイヤだし、
ぼくにとって、ビールを飲まない生活は、
ネコにネズミを食うな、と言うようなものだ。

長年の経験から、
筋肉がついてくるに比例して、
へそ下三寸にたまった脂肪はどんどん減少し、
体重も自然に落ちてくる、と分かっているから、
目を血走らせて意気込む必要はない(と思う)。

テントやらカメラやらビールやらの入った、
30キロくらいのバックパックを担いで、
2、3日くらい山野を歩き回れるだけの
体力と筋力がキープできればそれでいいのだ。
(5キロ痩せたら、その分余計にビールを持てるかな?)


体力づくりメニューの第1段階は、
1時間半の早歩き。
第2段階は、45分間のランニングで、
2日前から、ランニング時間を60分に延長した、
第3段階に突入した。

超スローペースでも、
ハアハア、ゼイゼイ言いながらでも、
1時間走れるようになると、
足の筋肉のアイドリングは終了。
これで、ようやく、
本格的トレーニングに突入できる。
とはいえ、しばらくの間は、
全身疲労と戦わなければならないのだが。

心肺機能が強化されるにはもう少し時間がかかるし、
筋肉の状態も、万全にはまだまだほど遠いので、
平均的登山タイムの半分を目標に、
山を駆け上がったりするには、まだ無理がある。
そうだな、あと、1週間くらいは、
「平地60分走」を続けなければならないかな。


ちなみに、走り始めて1週間で、
体重が3キロ落ち、ウエストが3センチ減った。
ね、効果テキメンでしょ?




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