活字中毒
2002年 11月 8日 金曜日
活字中毒の発作が起こるのは、
決まって、電車の中である。
あ〜面白かった、と、
手にしていた文庫本を閉じ、
デイパックのポケットから、
代わりの本を取り出す……。
あ、しまったあ、無いぞお!
本が読めない、と分かった瞬間、
動悸が激しくなり、呼吸さえ荒くなる。
今読み終わったばかりの本を、
もう一度ペラペラめくったところで、
発作が収まらないことは経験上熟知しているので、
目は、自然と、中吊り広告の文字を追いはじめる。
写真がメインのものよりは、
やはり、文字が多い広告が好ましい。
週刊誌の広告は、もちろんマル。
なにげに、不動産広告がいいのだ。
スペースの片隅に必ず、すごく細かい字で、
「概要」が記してあるから。
とにかく、ぼくにとって、
電車の中で本を切らさないことは、
生活上、すごく重要なことなのである。
どうしてこんなことを書きはじめたかというと、
先日、10カ月ぶりに、東京へ行ってきたから。
(久々の東京の感想は、あえてここでは書かないが)
右手に吊り革、左手に文庫本。
これが、電車内での正しい過ごし方なのである。
(うつらうつらの昼寝も場合によっては許す)
乗り込むが早いか、
右手の親指で携帯電話をキュコキュコする奴が、
最近、老若男女を問わず、すごく多いが、
そういう輩は、即刻死んでいただきたい。
見てしまうと無性に腹立たしい。
お、メール機能付き携帯電話なら文字が読めるか?
あ、いやいや、電車の中で携帯電話を使うのは、
公序良俗に反するのだ!
話はずれるけど、
携帯電話は、何で「ケータイ」って略されるんだろう?
どうしても略すなら「デンワ」でしょう。
「携帯」と「電話」で考えれば、
間違いなく、主体は「電話」なのに。
ま、いいけど、ぼくは、これからも、
「携帯電話」のことを「ケータイ」なんて言うもんか。
さて、さて、ぼくは、東京に出かける前日の夜、
持っていく本を選ぶのに、数時間を費やした。
本箱の前を何回も行き来し、
手に持ってみて、ぱらぱら中身をめくる。
これだ!というフィーリングが無いとダメなのね。
最終候補は、
推理系、純文学系、自然系、新書系。
推理系では、
・「サム・ホーソーンの事件簿2」(エドワード・D・ホック)
・「ハドリアヌスの長城」(ロバート・ドレイパー)
純文学系は(うう、我ながら、渋いなあ)、
・「抱擁家族」(小島信夫)
・「虞美人草」(夏目漱石)
・「かっぽん屋」(重松清)
自然系は、
・「山の博物誌(西丸震哉)」
新書系は、
・「1億3000万人のための小説教室」(高橋源一郎)
・「日本語の教室」(大野晋)
電車の中で眠くなるかもしれないから、
本気の本気で読む本はダメだよなあ、
とか、
あまりに面白過ぎる本も、
乗り越しの心配があるしなあ、
とか、
隣に座ったきれいなおねえちゃんに、
のぞき見られて恥ずかしい本じゃダメだよな、
などなど、
いろいろな考えが頭をよぎる。
はっきり言って、バカである。
それにしても、
活字中毒発作と無縁の人は幸せだなあ。
結局、悩んでもキリがないので、
持っていく本は、アミダクジにして決めたさ。
(当然のことながら、予備もね)
何を持っていったのかって?
えへへへへ、教えな〜い。
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