騒音サービス
2002年 4月 6日 土曜日

先日、ある本を探しに、
「ブックマー*ット」へ行ったのだが、
店内に流れる音楽のあまりのうるささに、
耐えきれなくなってしまった。

前々から思っていたことではあるのだけど、
ガマンにガマンを重ねた結果、
限界のコップから怒りがあふれ出した。

ただ単に、BGMが流れているのであれば、
多少ボリュームが大きいくらいは辛抱するさ。
だけどね、
店全体にBGMがかかっていて、
入り口近くに置かれたラジカセから別の曲、
CD売り場でもデモ演奏(うまい!)、ときた日にゃあ、
頭がうにゅうにゅにならない方がどうかしてるぞ。

もし、これが売るための策略であれば、
暴挙だ!としか言いようがないし、
サービス、だと言い張るならば、
断固抗議して、いかに非常識かを教えてやらねばならない。


意を決して、店員に切りだす。

「あのう、音楽、うるさいんで、止めてください」
(う〜、おっ、タッタン、ほっ=by モーニング娘。)

「しばらくお待ちください」
(あ〜、あ〜、タリララン、あ〜=by 浜崎あゆみ)

女の子は、そう言って、奥に消え、変わりに、
店長らしき男性がやってくる。

「何か不都合でもございましたか?」
(う〜、おっ、タッタン、ほっ)

「店内の音楽がうるさすぎて耐えられないので、
 即刻止めてください」
(あ〜、あ〜、タリララン、あ〜)

「ご来店いただいておりますお客さまに、
 少しでもリラックスしていただきたい、という、
 当店のサービスなのですが」
(わ〜、チャッチャ、は〜=by スマップ)

「分かりました、なら、
 流す音楽はひとつに絞ってください」
(あ〜、あ〜、タリララン、あ〜)

「と、おっしゃいますと?」
(う〜、おっ、タッタン、ほっ)

「2つも3つも同時にかけられたら、
 雑音以外の何ものでもないでしょう、あなた。
 うるさいんです。我慢できないんですよ」
(わ〜、チャッチャ、は〜)

「そういうご意見をおっしゃられたのは、
 お客さまがはじめてなものでして……
 なあ、田中さん、店内、うるさいかい?」
(あ〜、あ〜、タリララン、あ〜)

本の整理をしているところに店長から声をかけられた
年のころ20代前半とおぼしき女性の田中さんは、

「いえ、特に、別に」
(本日はブックマー*ットにようこそ=by 案内放送)

「お客さまのご意見は、今後、
 参考にさせていただきますので、
 今日のところは、本当に申し訳ございませんが、
 我慢していただく、ということで、
 お願いできませんでしょうか」
(わ〜、チャッチャ、は〜)

「ああ、わかったよ、そうかいそうかい、
こんな店、二度と来るもんか!フンフン!!」


すみませんねえ、この会話の部分は、全部ウソです。
小心者のぼくは、
目的の高野文子の本を1冊見つけたところで、
さっさと店を後にしたのでした。

最近、多いんだよね、この手の店。
本とCDを同時に扱っている店舗の、
90パーセント以上は、このタイプだ。
それから共通しているのが、

「いらっしゃいませえ、こんにちは〜」

「いらっしゃいませえ、こんにちは〜」

「いらっしゃいませえ、こんにちは〜」

「いらっしゃいませえ、
 こんにちは〜」

「ありがとう、ございましたあ」

「ありがとう、ございましたあ」

「ありがとう、ございましたあ」

「ありがとう、ございましたあ」

という、怒濤大声雪崩挨拶。
誰か一人が声を発したら、店内にいるすべての店員が、
誘発された爆弾のように、
ところかまわず続けて大声をあげるのだ。
この「商売の心」とは無縁の、
形骸的形式的マニュアル的な攻撃も、
誰が考えて、誰が始めたのか知らないけど、
それも、頼むから、やめてくれ。
そんなの、サービスなんかじゃないだろ。
真似しないでくれ。
おねげえしますだ、お代官さま。

目は閉じれば何も見えなくなるが、
(谷村新司も「昴」でそう歌っているよね)
耳を「閉じる」のはすごく難しいんだから。

やはり、古本を探すなら、
神保町か早稲田界隈に限るなあ。
どの店も、大人だもの。


共感文献
「うるさい日本の私」中島義道著 新潮文庫






開花予想
2002年 3月 31日 日曜日

花の開花が、こうもニュ−スとして、
新聞やテレビで報道されるくらいなのだから、
日本人っていうのは、つくづく桜が好きな民族だね。
白状すると、ぼくも、桜の花を見て、
そわそわする部類の一人である。

桜を扱った文学作品は、それこそ数限りないけど、
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」
という衝撃的な言葉で始まっている、
梶井基次郎の短編『桜の樹の下で』は、白眉ですな。
確かに、見事に美しく咲く桜の花を見たら、
こりゃあ、只事じゃあないな、と思いたくもなる気持ち、
同じ桜好きの日本人として、実によく分かるもの。


ところで、今年の桜の開花予想は、
見事に大コケしましたねえ。

手元にある本(『四季・動植物前線』百瀬成夫)
によると、気象庁では、
桜の開花予想に対する人びとの要望が高まったため、
1951年から関東地方で、
1955年から沖縄・奄美地方を除く全国で、
開花予想を発表することになったらしい。

オッ、と思ったのだけど、桜の開花の場合、
「予報」ではなく「予想」なんですね、これが。

「予報」とは、
あらかじめ報知すること。
また、その知らせ。
例「天気予報」

「予想」とは、
あらかじめ想像すること。
前もって見当をつけること。
例「景気(競馬)の予想」
(以上、国語大辞典(新装版) 小学館 1988 より抜粋)

「予報」というと、
科学の粋を集め、最新コンピュ−タ−を駆使して
はじき出された結果、という気がするけど、
「予想」といわれちゃうと、
場外馬券売り場でだみ声を張り上げているオッサンとか、
原宿の雑居ビルで怪しげな格好をしてるオバサンとか、
(別名、占い、ともいうけど)
プロ野球開幕直前に自説を主張する野球評論家とか、
そんな人たちのニヤついた顔を思い浮かべちゃうよな。

桜の開花を「予報」するのは、
それほど難しい、ということなんだろうか?
「桜まつり」などを計画している自治体とか、
花見客を当て込んで商売する人とか、
種まきの時期を確定しようとする農家の人などは、
開花予想が外れると困ってしまうんだろうけど、
「やじ馬的桜花愛好家」としては、
予想が外れたところで害を被るわけでもないので、
気象庁のこれからの奮闘・努力に期待します、
とだけ申しておきましょう。


最後にひと言。
気象庁発表の「開花宣言」は必要ないと思うんだけど。
と、いうより、それをニュ−スとして流すマスコミは、
もっと考えていただきたい。

「今日、東京地方に、桜の開花宣言が出されました」

というニュ−スが流れる数日前に、
上野公園の桜はかなり咲いていたぞ。
気象庁が靖国神社の「標本木」の開花を確認したことと、
広い東京で桜の花が咲いたことを同次元に扱うのは、
どう考えても無理があると思わんか?
新聞、テレビ各社には、大きな声で、
足を使ってもっと取材しなさい、と言いたいね。

「私どもの取材によれば、今日、
 上野公園で、桜が咲いているのを見つけました」

とやった方が、人びとにとって、
どれだけ有用性があるかはガキでも分かるじゃない。
「開花宣言」を待つ必要なんかないじゃない。
なんで、マスコミは、それをしないんだろう?
知っている人がいたら、ぜひ教えてください。


では、また。




 

抜歯初体験
2002年 2月 27日 水曜日


北海道のこととは関係ないけど。


生まれて初めて、歯を抜かれた。
抜かれっぱなしじゃ、悔しいので、治療後に、

「それ、ください」

と、30年近く働いてくれた愛しい歯を、
歯医者から奪還したのは言うまでもない。
捨てられてなるものかってんだ。

担当医のおねえちゃんは、

「あ、はい?」

と不思議そうな顔をするので、

「縁起物だから、持ち帰って、便所の屋根に投げるんです」

と、重ねて言うと、

「はあ、縁起物、ですか」

と笑いながら、
血で赤く染まった(生々しいな)歯を、
ガ−ゼに包んでくれた。


突然、歯が痛み始めたのは、
忘れもしない、2月5日の夜のことだ。
21時に、スノ−モ−ビル・ドライバ−の仕事を終え、
事務所で軽くビ−ルを飲んだあと、
近くのホテルの温泉につかって汗を流し、
公営住宅にもどったのが23時過ぎ。
山口雅也の「生ける屍の死」を片手に、
(この本、すっげえ、面白いぞ!!)
ワイルドタ−キ−をひと口飲み、
つまみの、長岡浪花屋の柿の種をかじった時、
下の歯の、奥歯の手前あたりに、
ズキン、と痛みが走った。

ぼくは、体質的に虫歯になりやすいので、
半年に1度、歯医者へ行って、検診を受けているのだが、
その度に、

「これは、言わば、内側に生えている八重歯で、
 かみ合わせもないし、他の歯にもよくないので、
 早めに抜いた方がいいですよ」

と、指摘されていた歯があったのだが、
抜歯だけは、ずっと、拒み続けていたのである。
キ−キ−キ−という歯を削るかん高い金属音に、
チクチクチクッと執拗なまでにたくさん刺す麻酔注射、
妙に優しい看護婦(?)さんの業務的な笑顔、などなど、
虫歯の治療を思い出すだけでも恐ろしいのに、
歯を抜くだなんて!

しかし、しかし、
痛むのは、まさに、その歯なのである。
確かに、今回、これまでの治療のことを考えたら、
もっと早くに抜いておけばよかった、と思う。
でも、虫歯でもない歯を抜くのは、
どうしてもイヤだったのだ。


朝になっても痛みが治まらないので、
思い切って、阿寒湖畔にある歯医者へ出かけた。
診察の結果、虫歯ではなく、
歯の根っこが化膿しているのだとか。
ここでも、やはり抜いた方がいいですね、
と、言われたのであるが、ふんぎりがつかず、
そこで、第二の治療方法として、
歯に穴を空けて、バイパスをつくり、
(かつての治療で神経は抜かれていた)
そこから、膿を出す作戦が決行された。

結局、湖畔の歯医者には、
3日連続で通ったのだけど、
全く改善の兆しがないので、
もしかしたら、もっと重病なのかも、
という疑念がむくむくとわき出し、
念のために、別の歯医者にも診てもらおうと、
隣町の津別へ行くことしたのだ。

結果的には、同じ見立て(?)だったのだけど、
抗生物質を処方してくれなかった
湖畔の歯医者にはちょっと落ち度があるなあ、
と、勝手に判断して、
津別の歯医者に運命を任せることに決めた。

ところで、歯医者の予約って、
何でいつも1週間ごとなんだろうね。
今回、痛くて痛くて、いてもたってもいられない、
という状況にもかかわらず、
次の診察は、1週間先なんだよね。
そのことを窓口で言うと、

「ガマンできなかったら、いつでも来てくださいね」

って言うのだけど、

「正式な予約」は1週間後で変わらないんだよね。

まあ、いいか。


治療とはあんまり関係ないけど、
津別の歯医者の看護婦(?)さんは、
そろいもそろって、25歳前後、
頭、まっ茶っ茶で、化粧が濃く、
アンニュイな雰囲気を漂わせている、
「お水」系である。

最初に行ったとき、3人いるうちの3人が、
受付の奥でパイプイスに座って足を組み、
枝毛の点検をしていたので目が点になった。
正直に白状すると、東京や帯広でも、
こんなに空いている歯医者は初めてだったので、
すっげえ不安になったのだが、
まあ、田舎町の歯医者はこんなもんか、
と、自分を納得させた。

初診時には、担当医は、口腔外科が専門、という
40代後半くらいのおじさんだったのだが、
いつのまにか、ただいま研修中です、みたいな、
20代後半の、今どき珍しい黒髪のおねえちゃんに、
取って代わられたのである。
(容姿、腕はともかく、まわりがまわりなだけに、
 楚々として見えたことを付け加えておこう)
この人、思ったことが口に出るタイプらしく、

「あれえ、何でこんなに腫れるんだろう?」
「あっ、ちょっと、まずいかなあ」

なんて、治療中に小さな声で口走ったり、
ときどき、「親分」を呼んで、
指示を仰いだりするもんだから、
小心者の患者としては、不安増大。
目をギュッときつく閉じて、
腹の上で組んだ指を強く握りしめ、
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ。

抗生物質を飲みつつ、
通院して歯の根っこの掃除をする、
という治療を続けた結果、
痛みはやや薄らいだものの、
今度は、歯茎がどんどん腫れてきた。
そして、先週、ついに、

「もうこれは、抜くしかありませんね」

と、最後通牒をたたきつけられたのである。
ガ〜ン。


抜歯である。
歯を抜くのである。
虫歯をぐりぐりされるだけで痛いのである。
あ〜あ、ふう(ため息)。
憂うつな気持ちで診察台に座ると、
おねえちゃん歯医者さんが、にこやかに、

「おはようございます」

その笑顔が、ふ、不安だ。

「前回歯茎を切開して膿を出しましたけど、
 経過が良さそうなので、今日、抜きますね。
 体調には問題ありませんよね」
 
「ちょっと腰に疲れがたまっていますけど」

「あ、それなら大丈夫です」

ちょっとチクチクしますよお、と、
歯茎の内と外、10カ所くらいに、
これでもかっ、と麻酔を打たれ、
いざ、作業開始である。

診察室のBGMに流れているラジオから流れる、
福山雅治の妙に軽すぎる歌声が癪に障る。

歯を抜く道具といえば、やっとこ、だ。
閻魔さんが舌を抜くのも、やっとこ、だな。
とおバカな考えが頭をよぎり、
どんな道具で自分の歯が抜かれるのか気になるのだが、
ぼくには、目を開けて一部始終を凝視する勇気はない。

歯の治療中、ずっと目を見開いている、
という、知りあいのおねえちゃんがいるのだが、
彼女は、どこを見ているんだろう?
歯医者の目をにらみつけているのか、
治療の過程を逐一チェックしているのか、
はたまた虚ろに宙を眺めているのか、
今度会ったら、聞いてみよう。

目をつぶっているので、
以下のことはすべて想像である。
やっぱり、道具は、やっとこ系のものだ。
目的たる歯をはさんで、
力任せに、右に左にぐいぐいと揺らし、
根をガタガタにしてから引っこ抜く作戦とみた。
隣の歯を使って、てこの原理も駆使しているようである。

「はい、抜けましたよお」

と言う声を聞くまでの長かったこと。
のどの奥にタンがからんだような感じにはなるし、
唾液や血を吸引する係のお水さんは、
口の中、ありとあらゆる場所に
「口内掃除機」の吸引口を当てるものだから、
おえっとなりそうになるし、
何より、ずっと口を開いていることのつらさ、ね。
ウオ〜!!


1度うがいをして、ホッとしたのも束の間、

「化膿部分の掃除をしますからねえ」

おいおい、それは、先週済んでいるはずじゃあ?

これが、痛かったのさ。
化膿している部分には麻酔が効きにくいとかで、
針のようなものをぐりぐり差し込まれて、
ぎゃっ!痛い!と顔をしかめると、
麻酔をつぎ足す、の繰り返し。
おまけに、膿が、歯を中心に抱え込むように、
袋状になっているっていうから、
あっちゃこっちゃを、
チクチク、グサリ、チクチク、グサリ。
目の両わきに涙がジワリたまってきたさ。

「?#@!&、ありますか」
「生理食塩水をもっと持ってきてください」
「針と糸がセットになっているやつください」

おねえちゃん、お水さんに指示を出すとき、
深刻そうに言わないでくれ、頼むから。
精も根も尽き果てたぞ。


抜かれた歯は、2.3センチの長さがあり、
歯茎に刺さっていた根っこの方が尖っていて、
ちょうど、犬の牙のような形をしている。
「お持ち帰り」をオ−ダ−すると、
おねえちゃんが笑いながらガ−ゼに包んでくれたのだが、
そのゴムの手袋を見るともなしに見ると、
真っ赤っ赤の血まみれである。
頭、クラクラしたなあ。


歯は、事務所に帰って、水できれいに掃除して、
ぼくのバックパックの中に、保管されている。
あとは、1週間後に抜糸をするだけだぜ。






続・大雪の話
2002年 2月 19日 火曜日


いやあ、まいった、まいった。
17日の夜から降りだした雪は、
19日深夜まで断続的に降り続き、
ここ阿寒湖畔で、70センチを超える積雪となった。

何を隠そう、ぼくは、17日の晩に、

「明日、釧路へ買い物に行こうかなあ」

なんて、言ってしまったものだから、
前回書いた「雪男」説を、
完全に裏付けるかたちになってしまった。
(15日には、諸般の都合で行けなかった)

事務所内で、
ぼくの立場がものすごく悪くなったことは、
言うまでもない。

事務所まわりの雪かき当番を命じられ、
昼ご飯のおかずを1品減らされ、と、
さもぼくが大雪を降らせたかのごとく、
まる2日間、目の敵にされてしまった。
おかげで、両腕が筋肉痛である。


特に、19日は、朝から猛吹雪で、
雪かきをするために、数分外に出るだけで、
全身雪だるま状態。
湖畔の温泉街をほんのちょっと歩くにも、
冬山完全装備を必要とするほどの荒れようだった。

近道をしようとして、
除雪されてない道路に足を踏み入れた人が、
腰くらいまで雪に埋もれ、もがいている姿を、
幾度となく目にして、楽しませてもらった。
(わざわざ除雪でできた雪山を越えてまで行くなよ)
全員おっさんで、みんな、例外なく、
照れ笑いしながら引き返していった。ははは。

湖畔から湖へと通じる、林の中の小道は、
風で飛ばされた雪も総動員されたものだから、
1mくらいのふかふか積雪状態になっており、
歩く、というより、泳ぐ、という表現がぴったりなほど。
スノ−モ−ビルで繰り出そうと試みても、
数m進んだだけでバランスをくずし、
体制を建て直せないまま雪に埋まってしまうし、
そうなると、出歩くには、
スキ−かスノ−シュ−を用いなければならず、
それはそれで用意が面倒なので、
結局、外には出ない、ということになる。
(こんな日に外で遊んでいたら、何を言われることか)

まあ、そんな状況だから、
2月1日以来行われている、阿寒湖観光の冬の目玉、
「氷上フェスティバル」は、昼夜とも中止。
夜の花火大会まで中止になったのは、
3年振り、2回目のことだと言う。
まあ、そのおかげで、こうして、
駄文をしたためる余裕ができたのだけど。






大雪の話
2002年 2月 15日 金曜日


いやはや、「雨男」ならぬ「雪男」にされてしまった。

ことの発端は、1月22日のこと。
友人からちょっとした仕事を頼まれ、
帯広へ出かける予定でいた。
ところが、前日の夜から、すさまじい雪。
朝までに、50センチもの雪が積もったのだった。
(国道は除雪されており、帯広への道中はらくらく)


続いて1月28日。
2泊3日で、知床へ遊びに行こうと思っていたのだが、
これまた、前日の夜から雪。
970hpという台風なみに発達した低気圧が、
釧路沖をたらたら進むものだから、雪が降ること。
それでも強引に出発したのだが、
車のワイパ−は5分もたたずに凍りはじめるし、
ホワイトアウトで前もろくに見えない。
普段の倍かかってウトロまでたどり着いたものの、
雪と風の嵐はひどくなる一方なので、
5分滞在しただけで、阿寒に戻るはめになった。
戻ったら、事務所の奥さんが一言。

「あんたはまだ北海道人ではないわ。
こんな日に出かける人はいないべさ」。

(写真は、ウトロのオシンコシンの滝の前)

UTORO


さらに、2月12日。
突然、歯が痛みはじめ(歯の根っこが化膿した)、
阿寒湖畔から30キロ離れた、
津別の病院へ行くことにした。
ここまでくれば、もうお分かりですね。
そう、やっぱり、雪だったんです、この日も。
積雪40センチくらい。
降る雪の勢いに除雪が追いつかず、
国道も原野とほぼ変わりない状態。
(スノ−モ−ビルで「通勤」している奴がいた!)
トラックとすれ違おうものなら、
完全に目の前が真っ白になり、
何も見えなくなるのである。
パッケ−ジに詰めて商品化したい、と思うくらいの、
そりゃあ、ほれぼれするような、
ホワイトアウトでさあ、旦那。


そんなこんながあったものだから、
事務所の連中は、口をそろえて、

「ん、もう、雪男なんだから。
出かけるときは、事前に予告しないで、
当日になって、天気を判断してからにしてください。
もう、雪かきはこりごりです」。


さて、今日は、いまのところ、天気は良好。
釧路の本屋にでも行くとしましょうか。






オンネト−の朝
2002年 2月 14日 木曜日

MUHYOU

いつもより少し早起きをして、散歩に出かけた。
そういうときに限って、
思いっきり冷え込むんだよなあ、これが。
阿寒湖畔で−20度を下回ったのは、久しぶりである。

今年の阿寒湖は、厳しい寒さには見舞われないものの、
(去年の今頃は1週間以上−25度以下の日が続いた)
雪が多く、ほぼ10日置きくらいの割合で、
40センチ単位の積雪があり(一昨日も雪だった)、
雪かき・雪おろし作業に伴う、
腰痛・肉体疲労者が続出している。

我が愛車ジムニ−は、諸般の事情から(金が無い!)、
リッタ−300円也のオイルを入れているために、
こんな寒い朝には、エンジンがかかるかどうか、
不安にさいなまれるのであるが、
キ−を回すこと3回目で、眠りから目を覚ましてくれた。

散歩は道連れ(?)、ということで、
阿寒ネイチャ−センタ−のチ−フナビゲ−タ−、
犬のピン氏にご同行を願って、
神秘の湖・オンネト−の玄関口、
十勝管内足寄町の野中温泉へ向かう。

朝日にダイヤモンドダストがキラキラ輝いている。
温泉の湯煙が樹氷となって、辺り一面を銀色に染めている。
目の前にそびえ立つ雌阿寒岳は音もなく噴煙を吹き上げ、
エゾマツの樹林帯に入り込む足跡を目で追うと、
その先には、親子連れのシカがいる。
そこは、別世界だった。

スノ−シュ−をはかずに森へ一歩踏み出したら、
すっぽりと胸まで雪にはまってしまったのはご愛嬌。
気温が低いので、カメラに付いた雪は、
息を吹きかければたちどころに飛び散ってしまう。

撮影に夢中になっていて、
到着と同時に森の中へ飛び出していった
ピン氏のことを忘れていた。
大声で呼ぶと、100mくらい先の斜面を、
勢い良くすべり下りてきた。
何と、シカの前脚をくわえているではないか。
さすが半野生犬である。

PIN

ピン氏も、ぼくも、有意義な朝を迎えたのであった。






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